名古屋城本丸御殿の復元工事 [名古屋城本丸御殿]

名古屋城本丸御殿の復元工事が進行中です。
名古屋城本丸御殿は江戸時代初期に建てられた武家風書院造の建物で、二条城二の丸御殿とともに国宝に指定されていた大変貴重な文化財でした。
しかし、昭和20年5月14日の空襲により天守閣とともに焼失してしまいました。

昨年度から復元工事が始まり、平成29年完成を目指しています。
御殿の復元は、最近では佐賀城や熊本城で行われていますが、名古屋城本丸御殿はそれらとは一線を画する史実に忠実な復元となっています。というのは名古屋城は昭和20年まで現存していたために、多くの古写真や実測図が現存しています。

明治以降は陸軍や宮内庁の管轄となりましたが、それらの時代には管理のためそれぞれ詳細な実測図や建具の金具等の拓本までとられています。また、戦時中に空襲から守るために障壁画や天井画、杉戸などが疎開されて残っています。さらに空襲の跡で焼け跡から金具等が拾われて現存しています。
古写真は当時のものなので白黒ですが、なんと宮内庁は上段の間などの床の間や欄間の実測図をカラーで残しているため当時の色合いを知ることができ、ほとんど完璧な復元のできる唯一の御殿なのです。

このようにほぼ完全な復元の出来る名古屋城本丸御殿ですが、今回の復元工事にはいくつか問題点もあります。
1つには、どういうわけか名古屋市では本丸御殿の復元年代を最終期の幕末ではなく寛永期に設定しました。一番違うのは屋根です。幕末や焼失したときは桟瓦葺きでしたが、寛永期は杮葺きだったために杮葺きで再建しています。桟瓦は古写真も沢山ありますが、杮葺きの屋根の史料はなく、正確な形態がわかりません。

なにしろ江戸期に桟瓦に変更したのは杮葺きの屋根は維持費がかかるためです。事実名古屋市でも今後は20年ごとに屋根の葺き替え作業が必要としています。今後の御殿の維持管理に膨大な費用が必要となります。そして絶えず屋根の葺き替えが行なわれていることになります。

復元のイメージ図です。

goten.jpg

戦災による焼失前の写真です。随分とイメージが違います。

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2番目には、御殿は焼失しましたが、礎石は残っています。しかし、この礎石の上に直接建物を復元するのではありません。礎石も文化財なので、その上に建物を建てることは変更になりできません。そのために礎石を砂で覆い、その上にコンクリートで固めた基礎を作り、その上に新しい礎石を置いて建物を作ります。その結果、建物の高さが本来の御殿よりも60センチほど高くなってしまいます。そうすると江戸時代の御殿と天守の景観とは微妙にずれてしまいます。

3番目には、今回の復元では幕末になかった中之口部屋が新たに復元されることです。この建物は御殿の維持管理するために建てられるものですが、実際の建物の様子は絵図だけで、詳細な資料がなくわかりません。
しかし、このようにいろいろと問題点はありますが、戦後の城郭復元としては最も史実に忠実なものには違いありません。今年の秋には玄関の工事の一部公開、平成24年には第一期工事の玄関、表書院、溜の間、中の口部屋の公開が予定されています。

写真は現在の工事の様子です。素屋根が出来て、現在礎石の準備が行なわれています。

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コメント 3

fuzzy

名古屋城本丸御殿は予算面で頓挫しかかっていましたが工事が始まってうれしい限りですね。

by fuzzy (2010-03-04 23:37) 

Jetstream777

ご訪問ありありがとうございます。 こちらこそよろしく、
城というのは、時代の背景だけでなく、建築とかいろいろ勉強になりますね。 山もそうかも知れませんが、結構のめり込みそうな領域かも・・・

by Jetstream777 (2010-03-06 10:34) 

ノリパ

楽しみですね。どえりゃースゴい御殿になるんでしょうね。
by ノリパ (2010-03-07 17:55) 

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