箱館奉行所(五稜郭の中にあります) [お城復元]
箱館奉行所は、五稜郭の中にあります。
というよりも箱館奉行所が五稜郭といったほうがいいのでしょうか。
五稜郭の正式名称は、亀田御役所土塁です。
箱館奉行所です。
平成22年に復元されました。
奉行所の玄関です。
復元工事は平成18年から始まり、4年後の平成22年に完成しました。
幸いにも奉行所の建物を写した古写真や建物の絵図面が残り、発掘調査の結果、礎石などから正確な大きさがわかり、史実に忠実な復元となっています。
玄関の庇部分です。
玄関を入ったところにある床の間です。
左手は受付です。
奉行所の平面図です。
水色の部分が今回復元された部分です。
もとの三分の一くらいです。
かなり大きな建物でした。
大広間です。
もっとも奉行所らしい部屋です。
一の間から四の間まで4つの部屋が続きます。
襖を開くと72畳になります。
ここも襖は無地です。
資料がなかったためですが、本来それほど豪華な襖ではなかったようです。
一の間です。
床の間と違い棚です。
天井は一の間から四の間まで全て同じ竿縁天井です。
同じく一の間です。
床の間と付書院です。
付書院は簡素なものです。
一の間の廊下です。
廊下の出っ張りは一の間の付書院です。
トイレも忠実に復元されています。
手前が小用です。
大広間の奥にある表座敷です。
床の間があります。
ここまでの部分が再現ゾーンということで当時の建物を内部まで忠実に復元しています。
もちろん全て木造による復元です。
中庭からみたところです。
屋根の上にあるものは太鼓櫓です。
五稜郭は天守閣はなかったけど、どうしても高い建物が欲しかったのか、わざわざ屋根の上に太鼓櫓を立てました。
五稜郭は大砲戦に対応するために、天守閣など高い建物を建てずに広い堀と土塁で守る思想で築城されました。
ところが、この太鼓櫓を建てたために城外から建物の位置がばれてしまい、箱館戦争の時には大砲の的になってしまいました。
中庭を挟んで大広間と反対の建物です。
奉行所の屋根の瓦が赤いです。
これは福井県の赤瓦を使っているからです。
福井の赤瓦は寒冷地に強い瓦のために使用されました。
こちらの建物は歴史発見ゾーンや映像シアターなどがあり、五稜郭の歴史を学べるようになっています。
天井の一部が開けられていて、屋根の小屋組が見えるようになっています。
太鼓櫓の太鼓です。
櫓の上には登れないので下に置いてあります。
太鼓櫓に登る階段です。
上には登れません。
奉行所から見た庭です。
白いラインは奉行所の建物の跡です。
松の奥に見える土塁は裏門のかざしの土塁です。
というよりも箱館奉行所が五稜郭といったほうがいいのでしょうか。
五稜郭の正式名称は、亀田御役所土塁です。
箱館奉行所です。
平成22年に復元されました。
奉行所の玄関です。
復元工事は平成18年から始まり、4年後の平成22年に完成しました。
幸いにも奉行所の建物を写した古写真や建物の絵図面が残り、発掘調査の結果、礎石などから正確な大きさがわかり、史実に忠実な復元となっています。
玄関の庇部分です。
玄関を入ったところにある床の間です。
左手は受付です。
奉行所の平面図です。
水色の部分が今回復元された部分です。
もとの三分の一くらいです。
かなり大きな建物でした。
大広間です。
もっとも奉行所らしい部屋です。
一の間から四の間まで4つの部屋が続きます。
襖を開くと72畳になります。
ここも襖は無地です。
資料がなかったためですが、本来それほど豪華な襖ではなかったようです。
一の間です。
床の間と違い棚です。
天井は一の間から四の間まで全て同じ竿縁天井です。
同じく一の間です。
床の間と付書院です。
付書院は簡素なものです。
一の間の廊下です。
廊下の出っ張りは一の間の付書院です。
トイレも忠実に復元されています。
手前が小用です。
大広間の奥にある表座敷です。
床の間があります。
ここまでの部分が再現ゾーンということで当時の建物を内部まで忠実に復元しています。
もちろん全て木造による復元です。
中庭からみたところです。
屋根の上にあるものは太鼓櫓です。
五稜郭は天守閣はなかったけど、どうしても高い建物が欲しかったのか、わざわざ屋根の上に太鼓櫓を立てました。
五稜郭は大砲戦に対応するために、天守閣など高い建物を建てずに広い堀と土塁で守る思想で築城されました。
ところが、この太鼓櫓を建てたために城外から建物の位置がばれてしまい、箱館戦争の時には大砲の的になってしまいました。
中庭を挟んで大広間と反対の建物です。
奉行所の屋根の瓦が赤いです。
これは福井県の赤瓦を使っているからです。
福井の赤瓦は寒冷地に強い瓦のために使用されました。
こちらの建物は歴史発見ゾーンや映像シアターなどがあり、五稜郭の歴史を学べるようになっています。
天井の一部が開けられていて、屋根の小屋組が見えるようになっています。
太鼓櫓の太鼓です。
櫓の上には登れないので下に置いてあります。
太鼓櫓に登る階段です。
上には登れません。
奉行所から見た庭です。
白いラインは奉行所の建物の跡です。
松の奥に見える土塁は裏門のかざしの土塁です。
2011-10-20 23:18
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コメント(6)
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正確な資料が戦乱で失われなくて良かったですね。
by Silvermac (2011-10-21 05:36)
22年に復元〜
最近復元されたばかりなんですね〜
by pandan (2011-10-21 07:04)
こんにちは。
30年位前に両親と函館を訪れた時には「函館奉行所跡」と書かれた手札と瓦みたいな物が置かれていただけでしたが、随分立派になった物です。
こんど、烏賊でも食べに行ってみます。
by musselwhite (2011-10-21 10:47)
また、函館に行ってみたくなりました。
以前行ったのは、平成18年以前でしたから、随分変わったんでしょうね。
by ヨッシーパパ (2011-10-21 19:39)
トイレも凄いんですね、小学生の時日光の天皇陛下がお泊まりになった
田母沢御用邸(現)に行った事がありますが、トイレが畳敷きである事に驚いた事を今でも鮮明に覚えています。
by kinkin (2011-10-21 21:49)
うわ!こんなに綺麗なところが!((((゜Д゜;))))私がいた頃はもう少し閑散としていました。(・´з`・)すごく良くなりましたねえ・・・。
by 大林 森 (2011-10-22 00:28)