一色城@愛知県豊川市 [お城踏査]
一色城は、愛知県豊川市牛久保町にありました。
今は大聖寺の近くに土塁の一部が残るだけです。
土塁の前に標識があります。
土塁の規模はかなり大きく、かつての一色城の規模を偲ばせます。
1町四方弱の方形館でした。
一色城は、文明年間に一色時家によって築かれました。
文明9年に時家は豪臣の波多野全慶に殺されてしまいます。
一色城という城は同名の城が多い城で、愛知県でも他に瀬戸氏や南知多町にもあります。
近くの大聖寺には今川義元の胴塚があります。
今川義元は永禄3年(1560)5月19日に、桶狭間合戦で織田信長の奇襲により討ち死にしました。
首を織田氏に取られたので、義元の胴体を家臣が背負ってここまで逃れ、この寺に葬りました。
石の手水鉢をのせて墓石の代わりにしました。
そのため「義元の胴塚」といわれています。
静岡までは運べなかったようですね。
義元の嫡子上総介氏真は、永禄6年(1563)父義元の三回忌をこの寺で営み、父の位牌所として寺領を安堵しました。
そのとき、墓は整備され、毎年義元の命日には地元の人々によって慰霊祭が行われています。
また、大聖寺には一色刑部少輔時家の墓もあります。
大聖寺の周りにも土塁が残っています。
一色城の土塁でしょうか?
今は大聖寺の近くに土塁の一部が残るだけです。
土塁の前に標識があります。
土塁の規模はかなり大きく、かつての一色城の規模を偲ばせます。
1町四方弱の方形館でした。
一色城は、文明年間に一色時家によって築かれました。
文明9年に時家は豪臣の波多野全慶に殺されてしまいます。
一色城という城は同名の城が多い城で、愛知県でも他に瀬戸氏や南知多町にもあります。
近くの大聖寺には今川義元の胴塚があります。
今川義元は永禄3年(1560)5月19日に、桶狭間合戦で織田信長の奇襲により討ち死にしました。
首を織田氏に取られたので、義元の胴体を家臣が背負ってここまで逃れ、この寺に葬りました。
石の手水鉢をのせて墓石の代わりにしました。
そのため「義元の胴塚」といわれています。
静岡までは運べなかったようですね。
義元の嫡子上総介氏真は、永禄6年(1563)父義元の三回忌をこの寺で営み、父の位牌所として寺領を安堵しました。
そのとき、墓は整備され、毎年義元の命日には地元の人々によって慰霊祭が行われています。
また、大聖寺には一色刑部少輔時家の墓もあります。
大聖寺の周りにも土塁が残っています。
一色城の土塁でしょうか?
2012-10-03 22:43
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コメント(4)
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なんだかひっそりしていますね。
by pandan (2012-10-05 06:09)
写真は難しいです。タイミングが大事です。
小さいチョウですから・・・なおまようね・・・
by ryuyokaonhachioj (2012-10-05 09:49)
こんばんは。
武将は辛いです。
by 夏炉冬扇 (2012-10-05 19:06)
こんばんは。ご訪問とnice!ありがとうございました。
ゆっくりと旅がしたいです。全てを忘れて。
by 坪井 (2012-10-05 20:00)