二つあった桶狭間古戦場 愛知県豊明市編 [歴史雑話]

永禄3年(1560)に織田信長が今川義元の大軍を討ち破った桶狭間合戦は教科書にもでているくらい有名ですね。
しかし、実はこの今川義元が戦死した場所というのは実は2ケ所説があるのです。

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こちらは豊明市にある桶狭間古戦場です。

公園になっています。

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石碑が建っています。

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公園の隣の高徳院です。

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ここには今川義元本陣跡の石碑が建っています。

以前は境内に古戦場の資料館もありましたが、今は閉鎖しているようです。

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高徳院の絵馬です。
古戦場らしいですね。

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古戦場の説明板です。

公園の案内と古戦場の案内が書かれています。

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拡大図です。

大高城、丸根砦、鷲津砦、鳴海城、桶狭間などの位置関係が分かりやすいです。

信長の進路が善照寺砦 → 中島砦 → 桶狭間というように分かりやすく表示されています。

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高徳院にある今川義元の墓碑です。

仏式の墓碑で、法名を刻んで建てられた供養塔です。

今川義元の300回忌にあたる万延元年に建てられました。
もう幕末に近い頃ですね。

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義元の墓碑の近くにあるお化け地蔵です。
古戦場らしくお化けが出たのでしょうか。

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古戦場の説明です。

ここが田楽狭間または館狭間と呼ばれていました。

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七石表と言われ、今川義元の戦死地を示す石碑です。
明和8年(1771)に尾張藩士人見弥右衛門らにより建てられました。

一号碑は今川義元の戦死した場所を示します。
二号碑は松井宗信戦死の場所を示します。
三号碑以下は義元の武将五人の戦死の場所ですが、氏名は不詳です。

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今川義元の墓です。

明治9年、名古屋市緑区有松の山口正義が建てたものです。

今川義元が鎧をかけた樹も残っています。

桶狭間古戦場の公園はそれほど広くはないのですが、ここには墓や碑などが所狭しと並んでいます。
こんなにも狭い範囲で戦死したのかと疑問にも感じますが、碑などは江戸時代に建てられたものなので、江戸時代にはここが古戦場と認識していたようです。

今でこそ、周りには住宅地になっていますが、昭和の頃には、近くに特殊な病院があり、一種独特の雰囲気をかもしだしていた場所でもありました。


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コメント 6

pandan

ちゃんと残っているのですね〜
by pandan (2015-04-21 08:11) 

やおかずみ

ご訪問ありがとうございました。
歴史が好きなので、記事を興味深く読ませていただきました。
by やおかずみ (2015-04-21 10:17) 

ぐうた

ご訪問&nice!をいただきありがとうございます(^^)
by ぐうた (2015-04-21 13:16) 

ryuyokaonhachioj

ありがとうございます。
竹林の中の、お地蔵さんが印象的です。
by ryuyokaonhachioj (2015-04-21 14:48) 

johncomeback

拙ブログへのコメントありがとうございます。
霞城の大手門の内部に入りました。
石落としが強化ガラスでカバーされていて、
下を通る人の姿が見えて面白かったです(^^)ニコ
by johncomeback (2015-04-21 15:32) 

川崎工場長

桶狭間の合戦は私でも知ってます。
古戦場跡はこんなふうに残されているんですね。
by 川崎工場長 (2015-04-21 17:54) 

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