荻城@愛知県幸田町荻 [お城踏査]
荻城は愛知県幸田町荻にあった中世城郭です。
荻は「おぎ」と読みます。「萩」と字が似ていますが、はぎではありません。
荻城の石碑です。
昭和62年に建てられました。
石碑によると、内藤弥次右衛門清長の終焉の地と伝えられます。
寛正(1460)頃に京都より内藤氏が三河に移り住みこの地に城を築きました。
明治38年まで内藤一族が住んでいました。
区画整理事業により堀は埋められて古木が刈られました。
西壕と城の地名のみが残りました。
区画整理後は地名は城跡になりました。
城跡の周辺です。
区画整理後のきれいな田が広がるのみで、城跡の面影は全くありません。
荻は「おぎ」と読みます。「萩」と字が似ていますが、はぎではありません。
荻城の石碑です。
昭和62年に建てられました。
石碑によると、内藤弥次右衛門清長の終焉の地と伝えられます。
寛正(1460)頃に京都より内藤氏が三河に移り住みこの地に城を築きました。
明治38年まで内藤一族が住んでいました。
区画整理事業により堀は埋められて古木が刈られました。
西壕と城の地名のみが残りました。
区画整理後は地名は城跡になりました。
城跡の周辺です。
区画整理後のきれいな田が広がるのみで、城跡の面影は全くありません。
坂崎城@愛知県幸田町坂崎 [お城踏査]
坂崎城は愛知県幸田町坂崎にあった中世城郭です。
石碑です。
天野康景邸跡と書かれています。
説明です。
それによると、天野氏は康景の祖父の代に三河に来て松平清康(家康の祖父)に仕えた。
康景は天文6年の生まれで、11歳のときから家康の小姓として仕え、姉川の戦いなどで戦功をあげました。
関東移封時には下総の香取で3000石を与えられました。
関ヶ原合戦後には駿河の興国寺城1万石の城主となりました。
天野康景の「康」の字は徳川家康から一字もらったものです。
城跡は現在は神社になっています。
神社の裏の堀跡です。
現在は用水になっています。
坂崎城は坂崎集落から突き出した場所にありました。
坂崎集落の中にはもう一箇所坂崎城があったようです。
天野氏が住んだ坂崎城との関係も気になります。
石碑です。
天野康景邸跡と書かれています。
説明です。
それによると、天野氏は康景の祖父の代に三河に来て松平清康(家康の祖父)に仕えた。
康景は天文6年の生まれで、11歳のときから家康の小姓として仕え、姉川の戦いなどで戦功をあげました。
関東移封時には下総の香取で3000石を与えられました。
関ヶ原合戦後には駿河の興国寺城1万石の城主となりました。
天野康景の「康」の字は徳川家康から一字もらったものです。
城跡は現在は神社になっています。
神社の裏の堀跡です。
現在は用水になっています。
坂崎城は坂崎集落から突き出した場所にありました。
坂崎集落の中にはもう一箇所坂崎城があったようです。
天野氏が住んだ坂崎城との関係も気になります。