星崎城@愛知県名古屋市 [お城踏査]
星崎城は愛知県名古屋市南区星崎にあった中世城郭です。
石碑です。
大正4年に建てられました。
城跡の大部分は今は笠寺小学校になっています。
説明板です。
石碑と説明は学校内にありますので、学校が休みの日には見れません。
周囲よりも高台にあります。
学校の入り口です。
食い違いになっていて、もしかすると城の遺構を利用したのではと思ってしまいます。
学校の西の高台にある秋葉神社です。
実はここにも星崎城の石碑があります。
ここまで城域だったのでしょうか。
星崎城の城主は岡田氏でした。
織田信雄の家老であり、本能寺の変後の天正期の清洲城の支城でした。
じっさいはかなり大きな城だったようです。
星崎には星宮神社があり、往古にここに隕石が落ちたために星崎という地名になったそうです。
その落下のときの衝撃で津波があり、海が鳴ったので「鳴海」という地名が付いたとも言われています。
地名は面白いですね。
星崎城のすく゜東には名鉄電車が走っています。
電車の左が笠寺小学校、城跡です。
高台にあることがわかります。
石碑です。
大正4年に建てられました。
城跡の大部分は今は笠寺小学校になっています。
説明板です。
石碑と説明は学校内にありますので、学校が休みの日には見れません。
周囲よりも高台にあります。
学校の入り口です。
食い違いになっていて、もしかすると城の遺構を利用したのではと思ってしまいます。
学校の西の高台にある秋葉神社です。
実はここにも星崎城の石碑があります。
ここまで城域だったのでしょうか。
星崎城の城主は岡田氏でした。
織田信雄の家老であり、本能寺の変後の天正期の清洲城の支城でした。
じっさいはかなり大きな城だったようです。
星崎には星宮神社があり、往古にここに隕石が落ちたために星崎という地名になったそうです。
その落下のときの衝撃で津波があり、海が鳴ったので「鳴海」という地名が付いたとも言われています。
地名は面白いですね。
星崎城のすく゜東には名鉄電車が走っています。
電車の左が笠寺小学校、城跡です。
高台にあることがわかります。
日本城郭史学会大会「黒田官兵衛の戦略・築城」 [お城情報]
上野城@愛知県豊田市 [お城踏査]
西尾城二の丸天守台復元工事完了 その2 [お城復元]
今回の天守台復元工事では、天守台の他に二の丸丑寅櫓台と土塁も復元されました。
天守台からみた土塁です。
向こうは丑寅櫓です。
丑寅櫓台です。
丑寅とは北東の方角を指す言葉で、本丸の三重櫓も丑寅櫓です。
西尾城には5つの丑寅櫓がありました。
天守の復元は難しいでしょうが、丑寅櫓ならば復元は可能ではないでしょうか。
岡崎城の東丸隅櫓は二重櫓ですが、約1億万円で復元しました。
櫓台があるので建物だけならば8,000万円ほどで出来るのではないでしょうか。
同じく櫓台です。
丑寅櫓の規模は西尾城郭覚書によると、
丑寅櫓
高 ニ丈七尺五寸
但シ棟木ヨリ石口マテ
櫓下土手高 九間
石垣高 七間四尺
土間 東西 三間
南北 四間
一重 東西 三間
南北 四間
二重 東西 ニ間半
南北 ニ間
と三間×四間と本丸に復元されている三重櫓よりすこし大きい程度でした。
二の丸居城之図です。
左下が丑寅櫓、右下が天守です。
正保絵図の西尾城本丸と二の丸です。
左が本丸、右が二の丸です。
櫓が乱立する様子がわかります。
二の丸には発掘調査で見つかった江戸時代の井戸を小石で表しています。
よく見ないと井戸と気付きません。
二の丸の鍮石門の北にわずかに土塁が復元されました。
本当は鍮石門と二の丸丑寅櫓の間には土塁があり、その土塁も復元する計画もあったようですが、一部のみの復元になりました。
本来はここに土塁があったことを示すために土塁の一部を復元しました。
二の丸の案内図です。
二の丸広場です。
奥は天守台です。
広場はイベントができるように芝生になっています。
南から見た天守台です。
天守台からみた土塁です。
向こうは丑寅櫓です。
丑寅櫓台です。
丑寅とは北東の方角を指す言葉で、本丸の三重櫓も丑寅櫓です。
西尾城には5つの丑寅櫓がありました。
天守の復元は難しいでしょうが、丑寅櫓ならば復元は可能ではないでしょうか。
岡崎城の東丸隅櫓は二重櫓ですが、約1億万円で復元しました。
櫓台があるので建物だけならば8,000万円ほどで出来るのではないでしょうか。
同じく櫓台です。
丑寅櫓の規模は西尾城郭覚書によると、
丑寅櫓
高 ニ丈七尺五寸
但シ棟木ヨリ石口マテ
櫓下土手高 九間
石垣高 七間四尺
土間 東西 三間
南北 四間
一重 東西 三間
南北 四間
二重 東西 ニ間半
南北 ニ間
と三間×四間と本丸に復元されている三重櫓よりすこし大きい程度でした。
二の丸居城之図です。
左下が丑寅櫓、右下が天守です。
正保絵図の西尾城本丸と二の丸です。
左が本丸、右が二の丸です。
櫓が乱立する様子がわかります。
二の丸には発掘調査で見つかった江戸時代の井戸を小石で表しています。
よく見ないと井戸と気付きません。
二の丸の鍮石門の北にわずかに土塁が復元されました。
本当は鍮石門と二の丸丑寅櫓の間には土塁があり、その土塁も復元する計画もあったようですが、一部のみの復元になりました。
本来はここに土塁があったことを示すために土塁の一部を復元しました。
二の丸の案内図です。
二の丸広場です。
奥は天守台です。
広場はイベントができるように芝生になっています。
南から見た天守台です。
シンポジウム「信長の城」 [お城情報]
お城関係のシンポジウムの案内です。
千田嘉博氏と春風亭昇太氏は最近はタッグを組んでいますね。
最強ですね。
シンポジウム「信長の城」
日 時 2014年3月30日(日)10時30分~15時
場 所 武蔵野大学(江東区有明3-3-3)
定 員 450名
参加費 3000円
内 容
「信長・秀吉の城を歩こう 3人トーク」
千田嘉博氏(奈良大学文学部教授)
春風亭昇太氏(落語家)
萩原さちこ氏(城郭ライター)
「信長の城」基調講演千田嘉博氏(奈良大学文学部教授)
パネルディスカッション
小和田哲男氏(日本城郭協会理事長・静岡大学名誉教授)
千田嘉博氏(奈良大学文学部教授)
小島道裕氏(国立歴史民俗博物館教授)
萩原さちこ氏(司会・城郭ライター)
問合せ
日本城郭協会
nobunagacastle@gmail.com
千田嘉博氏と春風亭昇太氏は最近はタッグを組んでいますね。
最強ですね。
シンポジウム「信長の城」
日 時 2014年3月30日(日)10時30分~15時
場 所 武蔵野大学(江東区有明3-3-3)
定 員 450名
参加費 3000円
内 容
「信長・秀吉の城を歩こう 3人トーク」
千田嘉博氏(奈良大学文学部教授)
春風亭昇太氏(落語家)
萩原さちこ氏(城郭ライター)
「信長の城」基調講演千田嘉博氏(奈良大学文学部教授)
パネルディスカッション
小和田哲男氏(日本城郭協会理事長・静岡大学名誉教授)
千田嘉博氏(奈良大学文学部教授)
小島道裕氏(国立歴史民俗博物館教授)
萩原さちこ氏(司会・城郭ライター)
問合せ
日本城郭協会
nobunagacastle@gmail.com