唐津城 その7 [お城踏査]
唐津城の続きです。
唐津城の下曲輪です。
中は駐車場になっていますが、櫓や塀が復元されています。
桟橋もあります。
隅櫓と物見櫓でしょうか。
隅櫓は一重です。
でも残念なことに塀が汚れて灰色になっています。
きれいに白く塗り替えれば、映えるのに。
隅櫓です。
下曲輪には正保城絵図によると二重櫓が2つあったようです。
絵図によっては二重櫓と一重矢倉を描くものもあります。
虎口です。
升形になっていますが、模擬虎口です。
二カ所あり、いずれも桟橋につながっています。
唐津城は海に面していて、ここに水の手門があり、船着場がありました。
今も遊覧船の桟橋があり、同じ用途で使われています。
先ほどの隅櫓を内部から見たところです。
中は休憩場になっています。
あまりにオープンな造りに拍子抜けです。
外から見ると模擬櫓にしてもそれなりに景観にマッチしているのですが、中はなんともです。
唐津城は城内の建物の復元を進めていますが、もう少し史実に忠実な整備をしてほしいです。
石垣はよく残っているので、もったいないです。
二の丸の石垣です。
外は海です。
橋から見た下曲輪です。
風が強かったので遊覧船は係留されています。
橋から見た唐津城です。
山上の天守が目立ちます。
(続く)
唐津城の下曲輪です。
中は駐車場になっていますが、櫓や塀が復元されています。
桟橋もあります。
隅櫓と物見櫓でしょうか。
隅櫓は一重です。
でも残念なことに塀が汚れて灰色になっています。
きれいに白く塗り替えれば、映えるのに。
隅櫓です。
下曲輪には正保城絵図によると二重櫓が2つあったようです。
絵図によっては二重櫓と一重矢倉を描くものもあります。
虎口です。
升形になっていますが、模擬虎口です。
二カ所あり、いずれも桟橋につながっています。
唐津城は海に面していて、ここに水の手門があり、船着場がありました。
今も遊覧船の桟橋があり、同じ用途で使われています。
先ほどの隅櫓を内部から見たところです。
中は休憩場になっています。
あまりにオープンな造りに拍子抜けです。
外から見ると模擬櫓にしてもそれなりに景観にマッチしているのですが、中はなんともです。
唐津城は城内の建物の復元を進めていますが、もう少し史実に忠実な整備をしてほしいです。
石垣はよく残っているので、もったいないです。
二の丸の石垣です。
外は海です。
橋から見た下曲輪です。
風が強かったので遊覧船は係留されています。
橋から見た唐津城です。
山上の天守が目立ちます。
(続く)
唐津城 その6 [お城踏査]
唐津城のその6です。
唐津城は海に突き出した半島に築かれています。
石垣の外は海です。
本丸の下には腰曲輪状に石垣で固めた曲輪があります。
その内部です。
左手が海です。
土塁状に少し高くなっています。
ここに塀が築かれていました。
石垣の隅部です。
よく見ると礎石の跡が見えます。
ここには隅櫓が建てられていたようです。
腰曲輪は長いので、いくつかに仕切られていました。
虎口の跡です。
虎口の幅は狭いです。
腰曲輪にある隅櫓です。
一重ですが、復元されたものです。
横から見た櫓です。
中には入れません。
塀も復元されています。
腰曲輪の虎口です。
模擬的な冠木門があります。
唐津城の絵図です。
復元整備と進めているとありますが、確かに唐津城はいろいろな建物が復元?されています。
しかし、その建物がどこまで史実に基づいた厳密なものかは疑問です。
そのあたりは追々紹介したいと思います。
海側から見た唐津城です。
なかなか絵になる風景です。
腰曲輪の一重櫓と塀です。
絵図によると腰曲輪には4つの一重櫓と1つの二重櫓がありました。
景観的には櫓と塀が映えます。
石垣の下に民家が建っている。
こんな海の近くに建て大丈夫なのかな?
(続く)
唐津城は海に突き出した半島に築かれています。
石垣の外は海です。
本丸の下には腰曲輪状に石垣で固めた曲輪があります。
その内部です。
左手が海です。
土塁状に少し高くなっています。
ここに塀が築かれていました。
石垣の隅部です。
よく見ると礎石の跡が見えます。
ここには隅櫓が建てられていたようです。
腰曲輪は長いので、いくつかに仕切られていました。
虎口の跡です。
虎口の幅は狭いです。
腰曲輪にある隅櫓です。
一重ですが、復元されたものです。
横から見た櫓です。
中には入れません。
塀も復元されています。
腰曲輪の虎口です。
模擬的な冠木門があります。
唐津城の絵図です。
復元整備と進めているとありますが、確かに唐津城はいろいろな建物が復元?されています。
しかし、その建物がどこまで史実に基づいた厳密なものかは疑問です。
そのあたりは追々紹介したいと思います。
海側から見た唐津城です。
なかなか絵になる風景です。
腰曲輪の一重櫓と塀です。
絵図によると腰曲輪には4つの一重櫓と1つの二重櫓がありました。
景観的には櫓と塀が映えます。
石垣の下に民家が建っている。
こんな海の近くに建て大丈夫なのかな?
(続く)
唐津城 その5 [お城踏査]
まだまだ続きます。
唐津城三の丸の石垣です。
このあたりの石垣は比較的低いです。
旧高取邸です。
石炭王・高取伊好の屋敷です。
能舞台もある豪邸です。
三の丸の石垣の外にあり、かつての武家屋敷ではなく、明治以降の建物です。
このあたりは石垣の散歩道と言われています。
素敵な散歩道です。
唐津城の天守が小さく見えます。
西の浜から見た唐津城です。
武家屋敷の門です。
移築されて旅館の門となっています。
二の丸の石垣です。
奥が一段高くなっています。
御住居・学問所跡です。
二の丸です。
高いほうに藩主の御殿がありました。
今は早稲田佐賀高校の校舎になっています。
高低差があるために渡り廊下になっています。
低いグラウンドのほうには学問所や蔵や馬場がありました。
(続く)
唐津城三の丸の石垣です。
このあたりの石垣は比較的低いです。
旧高取邸です。
石炭王・高取伊好の屋敷です。
能舞台もある豪邸です。
三の丸の石垣の外にあり、かつての武家屋敷ではなく、明治以降の建物です。
このあたりは石垣の散歩道と言われています。
素敵な散歩道です。
唐津城の天守が小さく見えます。
西の浜から見た唐津城です。
武家屋敷の門です。
移築されて旅館の門となっています。
二の丸の石垣です。
奥が一段高くなっています。
御住居・学問所跡です。
二の丸です。
高いほうに藩主の御殿がありました。
今は早稲田佐賀高校の校舎になっています。
高低差があるために渡り廊下になっています。
低いグラウンドのほうには学問所や蔵や馬場がありました。
(続く)
唐津城 その4 [お城踏査]
唐津城のその4です。
まだまだ唐津城ネタは続きます。
埋門です。
食い違い虎口になっていました。
写真では分かりにくいですが、直進していないところが分かるでしょうか。
三の丸にあり、ここから海に出られました。
石垣は低いです。
門の西側は5間丁馬場があり、南に向かって埋門小路がありました。
三の丸の石垣です。
右手は海でした。
石垣は低いですが、松が生えていて風情あります。
西の門の石垣です。
石垣の隅は櫓台だったのでしょう。
説明です。
西の門の北東に五間丁馬場がありました。
西の門付近より石垣は急に高くなります。
陸続きになるためです。
道路は堀の跡です。
西の門付近の石垣上から堀跡を望みます。
車の止まっている駐車場部分までが低くなっていて、堀の跡です。
堀の幅は15メートルほどはあったでしょうか。
かなり広かったようです。
石垣の隅石です。
虎口の跡です。
唐津城の絵図です。
三の丸の石垣です。
壮観な眺めです。
市街地でよく残ったものです。
道路は堀跡です。
(続く)
まだまだ唐津城ネタは続きます。
埋門です。
食い違い虎口になっていました。
写真では分かりにくいですが、直進していないところが分かるでしょうか。
三の丸にあり、ここから海に出られました。
石垣は低いです。
門の西側は5間丁馬場があり、南に向かって埋門小路がありました。
三の丸の石垣です。
右手は海でした。
石垣は低いですが、松が生えていて風情あります。
西の門の石垣です。
石垣の隅は櫓台だったのでしょう。
説明です。
西の門の北東に五間丁馬場がありました。
西の門付近より石垣は急に高くなります。
陸続きになるためです。
道路は堀の跡です。
西の門付近の石垣上から堀跡を望みます。
車の止まっている駐車場部分までが低くなっていて、堀の跡です。
堀の幅は15メートルほどはあったでしょうか。
かなり広かったようです。
石垣の隅石です。
虎口の跡です。
唐津城の絵図です。
三の丸の石垣です。
壮観な眺めです。
市街地でよく残ったものです。
道路は堀跡です。
(続く)
唐津城 その3 [お城踏査]
唐津城の続きです。
二の丸の石垣です。
左は二の丸跡に建つ早稲田佐賀高校です。
二の丸の中でも御殿のある部分は一段と高くなっていました。
石垣で囲まれています。
御殿の跡地には早稲田佐賀高校が建っています。
高校の敷地のため中を見学できないのが残念です。
唐津城の絵図です。
陶製のためすこし見にくいです。
二の丸堀です。
かなり堀幅が広いです。
説明です。
唐津城を築いた寺沢広高は、松浦川の河口を唐津城の東に付け替えて、二の丸と三の丸の間にあった旧川筋を利用して堀にしました。
二の門堀とか二の門外堀と呼ばれました。
時の太鼓です。
二の門堀にあります。
江戸時代には時を告げていました。
この太鼓は復元されたものです。
二の門外堀・北の門です。
二の丸と三の丸を分ける堀でした。
北の門の説明です。
唐津城はこのように外郭まで図入りの説明があり、現在地もよくわかり、とても親切です。
唐津城の大きさを実感します。
(続く)
二の丸の石垣です。
左は二の丸跡に建つ早稲田佐賀高校です。
二の丸の中でも御殿のある部分は一段と高くなっていました。
石垣で囲まれています。
御殿の跡地には早稲田佐賀高校が建っています。
高校の敷地のため中を見学できないのが残念です。
唐津城の絵図です。
陶製のためすこし見にくいです。
二の丸堀です。
かなり堀幅が広いです。
説明です。
唐津城を築いた寺沢広高は、松浦川の河口を唐津城の東に付け替えて、二の丸と三の丸の間にあった旧川筋を利用して堀にしました。
二の門堀とか二の門外堀と呼ばれました。
時の太鼓です。
二の門堀にあります。
江戸時代には時を告げていました。
この太鼓は復元されたものです。
二の門外堀・北の門です。
二の丸と三の丸を分ける堀でした。
北の門の説明です。
唐津城はこのように外郭まで図入りの説明があり、現在地もよくわかり、とても親切です。
唐津城の大きさを実感します。
(続く)