前田利家陣屋@佐賀県唐津市 [お城踏査]

前田利家の陣屋です。

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前田利家は五大老の一人です。
加賀100万石の基礎を築いた武将です。

秀吉の信任が厚く、名護屋城の近くに陣屋かぜ建てられていることからもわかります。

前田利家は8千騎を率いていました。

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虎口です。

内枡形虎口になっていて、門のあとも見つかっています。
石垣の高さは6メートルもあり、他の大名の陣屋とは規模を画します。
石も割石を使ってきれいに積まれています。

今は草が茂っていてわかりませんが、枡形内には階段が付けられていました。

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旗棹石です。

真ん中に穴が開いていて、ここに旗を立てました。

多くの大名の陣屋で見つかっています。

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前田利家の陣屋は二重構造になっていました。
ここは山麓で居館部でしたが、背後の山の上にも陣屋の遺構があるようです。
夏場のため断念しましたが。

ここも発掘調査が行われて、建物跡や庭園の跡、井戸跡、雪隠跡が見つかっています。

博多の豪商、神屋宗湛の日記に前田利家陣屋の様子が書かれています。
「太閤様羽柴筑前殿二数奇屋二、始テ御成りノ時、山ヲ切ヌリテ、路地ニシテ、被レ懸二御目一候也、其時御座敷ニテ、アソバシケルト也、深山ノ体ナト御ランジヲシテ、手水ノ所ニテアソバシテ、御座敷ニテナリ」

陣屋の内部は、日記のように深山の雰囲気で泉水があったようである。

前田利家は明の使節の接待もしていて、外交的な場所として使用された可能性もあります。

陣屋の中では比較的行きやすく、整備されているので、お勧めです。


毛利秀頼陣屋@佐賀県唐津市 [お城復元]

毛利秀頼陣屋です。

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標識の背後に見える小山が陣跡です。

それほど高い山ではありません。

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ここも国指定史跡なのですが、ご覧のように草木が茂っていて、登り口もなく、断念しました。

蜂や蛇が出そうな山です。

真夏の山城はやはり無理ですね。

一昨年の夏に友人と行った山城で、友人がスズメバチに刺されて大変な目に遭いました。
それ以来特に夏場は茂った山城は行かないようにしています。

徳川家康別陣@佐賀県唐津市 [お城踏査]

肥前名護屋城の徳川家康の別陣です。

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徳川家康は1万5千騎を率いていました。

そのために名護屋城の近くの陣屋とは別に海を隔てたところに別陣を構えていました。

徳川家康は文禄慶長の役では名護屋城まで来ていますが、実際に渡海して朝鮮半島で戦うことはありませんでした。
秀吉子飼いの加藤清正、福島正則、小西行長など多くの武将がこの戦いで疲弊します。
家康は、出兵せずにすみ、戦死者を出しませんでした。力を蓄えた家康は関ケ原合戦で勝利した一因とも言われています。

写真の標識を曲がり細い道を進みます。

でも行けども行けども陣屋跡らしい場所には着きません。
地図でだいだいの場所は間違いないのですが、確証がありません。

書籍によると土塁や櫓台があるらしいのですが、見つけることは出来ませんでした。

名護屋城の陣所はこういう入り口の標識はたくさん立っているのですが、そこから実際の陣屋までの標識がなく、結構迷います。
加藤清正や鍋島直茂、伊達政宗などの陣屋は近くまで行ったけど登り口がわからず断念しました。
冬ならば藪漕ぎして、山を直登するのですが、さすがに夏場の藪漕ぎは危険すぎます。

嗚呼残念。

徳川家康陣屋@佐賀県唐津市 [お城踏査]

名護屋城の徳川家康の陣屋です。

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徳川家康の陣屋は比較的低い場所にありました。

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現在はゲートボール場になっています。
写真で見るとただのグランドみたいで、標識がないとわかりません。

隣には保育園があります。

それだけ街中にあっただけに早くに破壊されてしまったようです。

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石垣です。

他にも石垣が発掘調査で見つかっていますが、今は埋め戻されています。
堀もかつてはあったようです。

周囲には家臣の本多忠勝や大久保忠世の陣屋もありました。

佐竹氏の家臣の平塚滝俊の手紙に「家やす、正宗、うき田との、かもう殿、其の外西国衆、甲斐、信濃、加賀、越中、出羽、奥州、其の外諸国のぐんぜいかきりなく取り付けられ候、左候間、日々に小旗、小指物、ほろ、のぼり御ちん御珍に張りたてて候間、誠に弥生の此、山々の花を見渡し候様に候」とあるように、名護屋城の周囲の山々や土地に大名の陣屋が建ち並んでいました。

特に名護屋城の周囲には、徳川家康、前田利家、加藤清正、福島正則、小西行長、木下延俊などの有力な家臣が陣屋を建てていました。

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まさに周囲には日本中の大名が集まり、首都のような様相と賑わいでした。




十二単 [歴史雑話]

安城市歴史博物館で「平安絵巻の世界」があり、見て来ました。

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十二単の実演がありました。

着方の説明もありましたが、とても手間がかかるようです。

十二単の正式名称は「五衣・唐衣裳」だそうです。
いつのころからか、響きのよい十二単が使われるようになりました。

実際に12枚重ね着しているわけではありません。

本物を着ているところをはじめて見ましたが、重そうでした。
歩くときは一人ではあるけず、付き人が二人がかりで裾を持っていました。

平安美人は大変です。

雅楽の演奏もありました。

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