豊臣秀保陣屋@佐賀県唐津市 [お城踏査]

豊臣秀保陣屋です。

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虎口の石垣です。

豊臣秀保は秀吉の姉の子どもで、秀吉の甥にあたります。
大和郡山城主で大和中納言と呼ばれました。
豊臣秀保は文禄4年に病気で死亡してしまうので、あまり知られてはいない人物です。
1万5千騎を率いていて、かなりの大身でした。
そのため、陣屋も立派なものでした。

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広い枡形虎口がありました。
豊臣一門としての格式を示すものです。

陣屋の形も方形をしていて、整ったものでした。
堀秀治の陣屋が自然地形を生かした楕円形になっていたのとは対照的です。

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ここもしっかりと説明板が設置されています。

陶板のものです。

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夏場のため草がかなり茂っています。

発掘の成果により、遠侍、書院、御座の間、数奇屋、二階櫓の跡が確認されました。
庭園遺構も見つかっています。

しかし、草によりあまりよく確認できませんでした。

やはり城は冬場に行くに限りますね。

隅のほうは蛇がでそうで怖かったです。
見学者はいませんでした。

豊臣秀保陣屋は、名護屋城の陣の中でも大きなもので、整備もされています。
しかし、標高68メートルの小高い山の上にあるので着くまで細い道を登り不安になりました。
看板も道路にはあったけど、途中からはなくなります。
地図を持っていないと少し迷います。

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名護屋城図屏風に描かれた豊臣秀保陣屋です。

石垣と塀に囲まれた中に建物や櫓が建てられていました。

発掘によりこの景観が確認されました。

堀秀治陣屋@佐賀県唐津市 [お城踏査]

名護屋城の周りには大名の陣屋が建てられていました。

佐竹氏の家臣の平塚滝俊の書状には「岸へは皆諸国の大名衆御陣取にて候、野も山もあく所なく候」と書かれている様に、周囲の山々にはほとんど陣屋が建てられていました。

現在、約130ケ所の陣屋跡が確認されています。

堀秀治の陣屋です。

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登り口にある説明です。

陶板です。

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主郭の土塁と虎口です。

土塁の凹んだところが虎口です。

堀氏の陣屋は小高い丘の上にあります。


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堀切です。

堀は浅く狭いです。

陣屋のためここで戦うのではないので、堀や土塁も小さいです。
区画や権威付けのためくらいでしょうか。

比較的きれいに整備されていますが、やはり夏のため夏草が伸びています。

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建物跡を遺構表示しています。

発掘調査の成果建物が確認されています。

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建物を復元したイラストです。

書院造りの建物が並んでいました。

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主郭前の虎口です。
少し分かりにくいですが、枡形虎口になっていました。

格式を示すためでしょうか。

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陣屋の中心部の図面です。

比較的大きな陣屋でした。

史料によると堀氏は3千騎の兵力でした。
3,000人以上がここに駐屯していたようです。

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石垣です。
低く、石を数段積んだだけのものです。

テーマ展「大名たちの文禄・慶長の役-鍋島直茂・勝茂の軌跡」 [お城情報]

名護屋城博物館では、現在、以下の展示を行っています。


テーマ展「大名たちの文禄・慶長の役-鍋島直茂・勝茂の軌跡」
2014年9月19日(金)~11月5日(日)
名護屋城博物館
佐賀県唐津市鎮西町名護屋1931-3
℡0955-82-4905

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名護屋城図屏風より

フォーラム「秀吉と光秀の天下分け目の山崎合戦」 [お城情報]

お城関係のイベントです。
定員1,000人とはすごいです。
流石に秀吉と光秀は人気ですね。


フォーラム「秀吉と光秀の天下分け目の山崎合戦」
日 時 2014年10月13日(月)13時~
場 所 枚方市市民会館(大阪府枚方市岡東町33-3)
参加費 1000円
定 員 1000名(要申込)
内 容
「光秀の子孫が語る『本能寺の変431年目の真実』」明智憲三郎氏(歴史工房)
「山崎合戦と光秀・秀吉」福島克彦氏(大山崎町歴史資料館)
問合せ
京阪電車 京阪・文化フォーラム係
06-6944-2534

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豊臣秀吉木像

佐賀県立名護屋城博物館 [歴史雑話]

佐賀県立名護屋城博物館は名護屋城のとなりにあります。
佐賀県唐津市鎮西町です。

展示は名護屋城に関するものが中心です。

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名護屋城の模型です。

こうしてみると如何に本格的な城であったかわかります。

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模型は発掘調査と名護屋城図屏風を元にして作られています。

天守は五重でした。

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名護屋城の周りには各大名の陣所が建てられていました。

これは堀秀政の陣所の復元模型です。
これも発掘調査の成果により作られています。

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安宅船の模型です。

船の上に櫓が組まれていました。
大砲を積み、厚い装甲で、戦艦なみでした。

豊臣軍はこの船で朝鮮半島に渡りました。

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豊臣秀吉木像です。
これはレプリカです。


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