平戸城 その2 [お城踏査]
平戸城の続きです。
平戸城は安土桃山時代に松浦法印が築城しました。
しかし、完成近い慶長18年(1613)に江戸幕府の疑いを晴らすために自ら城を破却して、御館に移りました。
豊臣氏との親交が深かったためと言われます。
大坂の陣の直前ですね。
その後、元禄15年に松浦氏は幕府に築城を願い出ます。
元禄のころはほとんど新規の築城は認められませんでしたが、松浦氏は認められました。
山鹿素行の築城術によって築かれました。
そのために随所に縄張りに工夫が見られます。
平戸城は標高44メートルの山に築かれていますが、山腹までは車で登れます。
観光センターに車を止めてそこから登りました。
駐車場から見た平戸城です。
北虎口門です。
こう見えても実は現存門なのです。
窓にガラスがはめられているので、現存には見えません。
雨で曇っていますが、地蔵坂櫓です。
こちらは復元です。
昭和37年に建てられました。
北虎口門には地蔵櫓と狸櫓から横矢がかかるようになっています。
このあたりの縄張りは流石です。
裏から見た北虎口門です。
窓の形があやしいので、再建されたようにも見えますが、現存です。
窓を正しく修理すればもっとよく見えるのに残念です。
門の扉です。
ここは現存らしく見えます。
同じく、北虎口門の櫓門の下部分です。
梁が太いです。
平戸城の絵図です。
(続く)
平戸城は安土桃山時代に松浦法印が築城しました。
しかし、完成近い慶長18年(1613)に江戸幕府の疑いを晴らすために自ら城を破却して、御館に移りました。
豊臣氏との親交が深かったためと言われます。
大坂の陣の直前ですね。
その後、元禄15年に松浦氏は幕府に築城を願い出ます。
元禄のころはほとんど新規の築城は認められませんでしたが、松浦氏は認められました。
山鹿素行の築城術によって築かれました。
そのために随所に縄張りに工夫が見られます。
平戸城は標高44メートルの山に築かれていますが、山腹までは車で登れます。
観光センターに車を止めてそこから登りました。
駐車場から見た平戸城です。
北虎口門です。
こう見えても実は現存門なのです。
窓にガラスがはめられているので、現存には見えません。
雨で曇っていますが、地蔵坂櫓です。
こちらは復元です。
昭和37年に建てられました。
北虎口門には地蔵櫓と狸櫓から横矢がかかるようになっています。
このあたりの縄張りは流石です。
裏から見た北虎口門です。
窓の形があやしいので、再建されたようにも見えますが、現存です。
窓を正しく修理すればもっとよく見えるのに残念です。
門の扉です。
ここは現存らしく見えます。
同じく、北虎口門の櫓門の下部分です。
梁が太いです。
平戸城の絵図です。
(続く)
平戸城 その1 [お城踏査]
平戸城は長崎県平戸市にある近世城郭です。
平戸市は異国情緒あふれるとてもいい街で、平戸城も素晴らしい城なのですが、なにしろ平戸は交通の便があまり良くない為に、なかなか行けずにいました。
今回は諫早から北上したのですが、バイパスなどが整備されつつあり、思ったよりも短い時間で行くことが出来ました。
城下町から見た平戸城です。
海に浮かぶ島のようです。
幸橋です。
通称オランダ橋と言われています。
奥は城門です。
アーチ型の門が平戸らしい。
門の後ろの建物は市役所です。
風情が台無し。
門を正面から
裏から見た門です。
観光的に復元したもので、厳密な門ではありません。
柱は木製ですが、屋根はコンクリート造りです。
門から続く土塀も復元されています。
隅櫓みたいな建物もあります。
トイレのようです。
城らしい景観には配慮されています。
門から見た堀と土塀です。
堀は海水です。
(続く)
平戸市は異国情緒あふれるとてもいい街で、平戸城も素晴らしい城なのですが、なにしろ平戸は交通の便があまり良くない為に、なかなか行けずにいました。
今回は諫早から北上したのですが、バイパスなどが整備されつつあり、思ったよりも短い時間で行くことが出来ました。
城下町から見た平戸城です。
海に浮かぶ島のようです。
幸橋です。
通称オランダ橋と言われています。
奥は城門です。
アーチ型の門が平戸らしい。
門の後ろの建物は市役所です。
風情が台無し。
門を正面から
裏から見た門です。
観光的に復元したもので、厳密な門ではありません。
柱は木製ですが、屋根はコンクリート造りです。
門から続く土塀も復元されています。
隅櫓みたいな建物もあります。
トイレのようです。
城らしい景観には配慮されています。
門から見た堀と土塀です。
堀は海水です。
(続く)