長田館@愛知県豊田市 [お城踏査]
長田館は愛知県豊田市司町にあった中世城館です。
現在は住宅地になっています。
遺構はありません。
説明看板が立てられています。
説明によると、長田館は、永田氏の館でした。
永田氏は、元長田氏で桓武平氏でした。
長田氏は内海(愛知県知多半島)の荘官時代に、源義朝を浴室で騙し討ちにしましたが、後に源頼朝により誅されました。
後に三河国碧海郡の熊野神社の神主になり、名を永田に変えました。
館は長方形で、北曲輪、中曲輪、南曲輪の3つの曲輪がありました。
東門、西門、参談門、仕米門がありました。
城の痕跡を捜して近くを歩いてみました。
田が細長く残っていたので、もしかしたら堀の痕跡でしょうか。
現在は住宅地になっています。
遺構はありません。
説明看板が立てられています。
説明によると、長田館は、永田氏の館でした。
永田氏は、元長田氏で桓武平氏でした。
長田氏は内海(愛知県知多半島)の荘官時代に、源義朝を浴室で騙し討ちにしましたが、後に源頼朝により誅されました。
後に三河国碧海郡の熊野神社の神主になり、名を永田に変えました。
館は長方形で、北曲輪、中曲輪、南曲輪の3つの曲輪がありました。
東門、西門、参談門、仕米門がありました。
城の痕跡を捜して近くを歩いてみました。
田が細長く残っていたので、もしかしたら堀の痕跡でしょうか。
名古屋城本丸御殿の復元工事の近況26年10月中旬 [名古屋城本丸御殿]
名古屋城本丸御殿の復元工事の近況です。
ライブカメラから
先月とあまり大きくは変わっていません。
台所と孔雀の間です。
こちらもあまり変化ありません。
来月1日は本丸御殿現場見学会があるので、その時に再び来ようかな。
西南隅櫓の特別公開も9日にあるし、いろいろ忙しい。
その前に今月24日には二の丸庭園の発掘現地説明会もあります。
本丸御殿内では障壁画の展示がありました。
表書院二の間で展示されていました。
二の間は初めて入りました。
こちらが展示されていた障壁画です。
ガラスケース入りでした。
天守閣では特別展「天下人への道-信長・秀吉・家康の合戦」が開催中。
10月11日から11月24日まで
賤ケ岳合戦図屏風です。
大岩山砦?の絵だったかな。
これは有名な長篠合戦図屏風
もちろん一部です。
これは桶狭間合戦図です。
大高城や丸根砦、鷲津砦などが描かれています。
本物が見れるのはうれしいですね。
西南隅櫓の修理も終わりました。
覆いも外れて天守とのコラボもばっちりです。
この櫓の特別公開が11月9日にあります。
この櫓の中の公開は初めてなので楽しみです。
ライブカメラから
先月とあまり大きくは変わっていません。
台所と孔雀の間です。
こちらもあまり変化ありません。
来月1日は本丸御殿現場見学会があるので、その時に再び来ようかな。
西南隅櫓の特別公開も9日にあるし、いろいろ忙しい。
その前に今月24日には二の丸庭園の発掘現地説明会もあります。
本丸御殿内では障壁画の展示がありました。
表書院二の間で展示されていました。
二の間は初めて入りました。
こちらが展示されていた障壁画です。
ガラスケース入りでした。
天守閣では特別展「天下人への道-信長・秀吉・家康の合戦」が開催中。
10月11日から11月24日まで
賤ケ岳合戦図屏風です。
大岩山砦?の絵だったかな。
これは有名な長篠合戦図屏風
もちろん一部です。
これは桶狭間合戦図です。
大高城や丸根砦、鷲津砦などが描かれています。
本物が見れるのはうれしいですね。
西南隅櫓の修理も終わりました。
覆いも外れて天守とのコラボもばっちりです。
この櫓の特別公開が11月9日にあります。
この櫓の中の公開は初めてなので楽しみです。
鴛鴨城@愛知県豊田市 [お城踏査]
鴛鴨城@愛知県豊田市押鴨町にあった中世城郭です。
鴛鴨城は「おしかも」と読みます。
おしどりや鴨がいたのでしょうか。
田の中に残る城跡です。
すぐ近くを東名高速道路が走っています。
説明です。
鴦鴨松平氏の居城でした。
松平氏三代信光の子の親光かぜ鴦鴨松平氏の初代です。
2代親康、3代親久が居城としました。
4代の忠久は徳川家康の命により酒井正親に従い西尾城に移ります。
その後廃城となりました。
親康の娘は榊原康政の母でした。
城跡は公園になっていますが、明瞭な遺構はありません。
堀や土塁はなく、こんもりした高台になっています。
石碑です。
鴛鴨城址と刻まれています。
石碑の裏面です。
謂れが書かれています。
大正4年に建てられました。
鴛鴨城は「おしかも」と読みます。
おしどりや鴨がいたのでしょうか。
田の中に残る城跡です。
すぐ近くを東名高速道路が走っています。
説明です。
鴦鴨松平氏の居城でした。
松平氏三代信光の子の親光かぜ鴦鴨松平氏の初代です。
2代親康、3代親久が居城としました。
4代の忠久は徳川家康の命により酒井正親に従い西尾城に移ります。
その後廃城となりました。
親康の娘は榊原康政の母でした。
城跡は公園になっていますが、明瞭な遺構はありません。
堀や土塁はなく、こんもりした高台になっています。
石碑です。
鴛鴨城址と刻まれています。
石碑の裏面です。
謂れが書かれています。
大正4年に建てられました。
C12 [鉄道]
松平シンポジウム「三河一国平均に治む-戦国大名徳川家康」 [お城情報]
毎年恒例になっている松平シンポジウム
今年も開催されます。
今年は例年よりは時期が早いですね。
松平シンポジウム「三河一国平均に治む-戦国大名徳川家康」
日 時 2014年10月26日(日) 13時~16時30分
場 所 安城市歴史博物館(安城市安城町城堀30)
内 容
コーディネーター 播磨良紀氏(中京大学)
パネリスト
「家康の東三河浸出について」山田邦明氏(愛知大学教授)、
「織田権力内だの家康の位置づけについて」谷口克広氏(戦国史研究家)、
「家康の動きと松平諸家の立場について」平野明夫(國學院大學講師)
問合せ
安城市歴史博物館
℡0566-77-6655
今年も開催されます。
今年は例年よりは時期が早いですね。
松平シンポジウム「三河一国平均に治む-戦国大名徳川家康」
日 時 2014年10月26日(日) 13時~16時30分
場 所 安城市歴史博物館(安城市安城町城堀30)
内 容
コーディネーター 播磨良紀氏(中京大学)
パネリスト
「家康の東三河浸出について」山田邦明氏(愛知大学教授)、
「織田権力内だの家康の位置づけについて」谷口克広氏(戦国史研究家)、
「家康の動きと松平諸家の立場について」平野明夫(國學院大學講師)
問合せ
安城市歴史博物館
℡0566-77-6655