刈谷古城@愛知県刈谷市 [お城踏査]
刈谷古城は愛知県刈谷市天王町にあった中世城郭です。
刈谷古城は、刈谷城の前身とされ、天文2年に水野忠政が移転したと言われています。
刈谷古城跡と伝えられる付近です。
台地の端になりますが、特に城跡らしい堀や土塁の遺構はありません。
果たして本当にここが城跡なのでしょうか。
史跡めぐりの地図には刈谷古城の記入はありますが、現地には石碑も説明もなにもありません。
この地図だけでは城跡の場所を特定できず、不安になります。
比較的有名なお城だけに残念です。
刈谷古城は、刈谷城の前身とされ、天文2年に水野忠政が移転したと言われています。
刈谷古城跡と伝えられる付近です。
台地の端になりますが、特に城跡らしい堀や土塁の遺構はありません。
果たして本当にここが城跡なのでしょうか。
史跡めぐりの地図には刈谷古城の記入はありますが、現地には石碑も説明もなにもありません。
この地図だけでは城跡の場所を特定できず、不安になります。
比較的有名なお城だけに残念です。
椎の木屋敷@愛知県刈谷市 [お城踏査]
椎の木屋敷は愛知県刈谷市にあった中世城館です。
入口です。
坂を登ります。
今は公園になっています。
公園入口の冠木門です。
石碑です。
これはもともとあった碑です。
説明です。
刈谷城主水野氏の娘であった於大の方は、岡崎城主松平広忠に嫁ぎ、竹千代(後の徳川家康)を生みました。
しかし、当初今川方であった水野氏は織田氏と同盟を結んだために、於大の方は離縁させられて実家の刈谷城に帰されます。
そのときに於大の方が住んだ場所が椎の木屋敷です。
こちらも説明です。
説明板の中の椎の木屋敷の絵図のアップです。
小高い丘の上にあり、周囲を崖に囲まれた要害の地でした。
於大の方の銅像です。
こちらは於大の方の肖像画の模写です。
晩年の姿です。
入口です。
坂を登ります。
今は公園になっています。
公園入口の冠木門です。
石碑です。
これはもともとあった碑です。
説明です。
刈谷城主水野氏の娘であった於大の方は、岡崎城主松平広忠に嫁ぎ、竹千代(後の徳川家康)を生みました。
しかし、当初今川方であった水野氏は織田氏と同盟を結んだために、於大の方は離縁させられて実家の刈谷城に帰されます。
そのときに於大の方が住んだ場所が椎の木屋敷です。
こちらも説明です。
説明板の中の椎の木屋敷の絵図のアップです。
小高い丘の上にあり、周囲を崖に囲まれた要害の地でした。
於大の方の銅像です。
こちらは於大の方の肖像画の模写です。
晩年の姿です。