名古屋城本丸御殿の復元工事の近況26年11月下旬 [名古屋城本丸御殿]
名古屋城本丸御殿の復元工事の近況です。
孔雀の間の屋根の小屋組みが始まりました。
まだ柱を立て始めたばかりです。
上台所です。
こちらは礎石の上に基礎となる木材を置いた状態です。
こちらは上御膳所と対面所です。
あまり目立った変化はありません。
そろそろ屋根の杮葺きが始まる頃ですが。
工事のために大きな覆い屋根が作られましたが、建物が多く建てられて、残りのスペースは上洛殿などわずかです。
そのためか、外に作業小屋が新たに建てられました。
第二期工事も半分をすぎ、あと1年半を残すだけになりました。
再来年の春には対面所、孔雀の間、上台所が完成です。
名古屋城も紅葉が見ごろです。
紅葉と天守
西の丸の紅葉です。
西の丸では発掘調査が行われていました。
孔雀の間の屋根の小屋組みが始まりました。
まだ柱を立て始めたばかりです。
上台所です。
こちらは礎石の上に基礎となる木材を置いた状態です。
こちらは上御膳所と対面所です。
あまり目立った変化はありません。
そろそろ屋根の杮葺きが始まる頃ですが。
工事のために大きな覆い屋根が作られましたが、建物が多く建てられて、残りのスペースは上洛殿などわずかです。
そのためか、外に作業小屋が新たに建てられました。
第二期工事も半分をすぎ、あと1年半を残すだけになりました。
再来年の春には対面所、孔雀の間、上台所が完成です。
名古屋城も紅葉が見ごろです。
紅葉と天守
西の丸の紅葉です。
西の丸では発掘調査が行われていました。
紀州路快速 [鉄道]
全国城サミットイン彦根 [お城情報]
お城のイベントの情報です。
各地のお城を回って開催しています。
全国城サミットイン彦根
日 時 2014年11月28日(金) 13時~16時30分
場 所 滋賀大学(滋賀県彦根市馬場)
定 員 300名(要申込)
参加費 無料
内 容
基調講演「一城一話彦根城」松平定知氏(京都造形美術大学)
シンポジウム分科会
A「世界遺産」
コーディネーター 岡田保良氏(国士舘大学)
B「城郭整備」
コーディネーター 中井均氏(滋賀県立大学)
パネリスト 工藤哲司氏(仙台市教育委員会)、中村啓太郎氏(福岡市文化財課)、石川竜明氏(弘前市公園緑地課)
C「城や城下町を活かした街づくり」
笹本正治氏(信州大学)
問合せ
彦根市教育委員会
℡0749-26-5833
各地のお城を回って開催しています。
全国城サミットイン彦根
日 時 2014年11月28日(金) 13時~16時30分
場 所 滋賀大学(滋賀県彦根市馬場)
定 員 300名(要申込)
参加費 無料
内 容
基調講演「一城一話彦根城」松平定知氏(京都造形美術大学)
シンポジウム分科会
A「世界遺産」
コーディネーター 岡田保良氏(国士舘大学)
B「城郭整備」
コーディネーター 中井均氏(滋賀県立大学)
パネリスト 工藤哲司氏(仙台市教育委員会)、中村啓太郎氏(福岡市文化財課)、石川竜明氏(弘前市公園緑地課)
C「城や城下町を活かした街づくり」
笹本正治氏(信州大学)
問合せ
彦根市教育委員会
℡0749-26-5833
伊坂城跡の発掘調査現地説明会 その2 [発掘調査現説]
伊坂城跡の発掘調査現地説明会の続きです。
伊坂城は大きな城で、高速道路により城跡の半分が消滅してしまうのでいろいろな発見がありました。
近世城郭はともかく、中世城郭は実際は曲輪の中がどうなっていたのかとか、建物があったかどうかなど分からないことが多いです。
こういう機会ではないと全面的に発掘調査をすることはないのです。
城跡がなくなってしまうことはとても残念ですが、城跡の内部の様子がわかるという意味では貴重な調査です。
櫓門の隣の土塁です。
梯子で登ります。
今回は山城なので非常に危ない場所も多いです。
三重県埋蔵文化財センターの調査ですが、とても多くの職員が出ていて、安全面にも配慮されていました。
土塁の上で見つかった礎石建物です。
礎石は8個ありました。
3間×1間の建物が想定できますが、礎石が失われて3間×2間の建物の可能性があると説明していました。
礎石のならびに不自然を感じました。
もしかいると小さい2棟の建物だったかもしれません。
主郭内は、掘立柱建物だったのに、ここは礎石建物というのは、それだけ重要な場所だったのでしょうか。
土塁の隅にあった集石です。
15~20センチの大きさの丸石で、石つぶてということでした。
戦いのときにこの土塁上から石を投げたということでした。
実際に石つぶてが見つかることは珍しいことです。
ただ、城跡にはこのような石は多く散在していて、ほんとうにココだけなのかとも感じました。
伊坂城の図面です。
色のついているところが調査範囲です。
左が主郭、その右が曲輪2です。
水色は堀址です。
主郭から見た曲輪2です。
主郭と曲輪2の間の堀切です。
底は平たく堀底道になっていました。
ここを経由して主郭に入りました。
曲輪2の内部です。
かまどの跡や柱穴が見つかっています。
曲輪2に登る階段の跡です。
数段のみ見つかりました。
曲輪2は独立した曲輪で、どの曲輪とも連絡していません。
堀底道を来た敵兵を主郭と曲輪2から挟み撃ちする構造で、優れた縄張りです。
でも曲輪2は逃げ場がなく、攻められたら全滅するしかありません。
いわば決死隊の曲輪です。
下からみた曲輪2です。
切岸の高さがわかります。
見学者もこの梯子を上り下りします。
見学も大変です。
曲輪2の南の堀切です。
幅広い堀切です。
底は箱堀でした。
遺物です。
天目茶碗、すり鉢、大甕、土師器、古銭、砥石、火縄銃の弾、貝殻が見つかっています。
貝殻はハマグリやサザエなどで伊坂城の人が何を食べていたのかがわかり興味深いです。
伊坂城の歴史は永禄11年に織田信長に攻められて落城したとされていますが、発掘調査の結果、16世紀後半にも城があった可能性がわかりました。
櫓門の存在や縄張りから、小牧長久手合戦時に使用された可能性もあると思います。
今更工事の計画を変更することは不可能でしょうが、事前にもうすこし何とかできなかったのかと残念に思います。
伊坂城は大きな城で、高速道路により城跡の半分が消滅してしまうのでいろいろな発見がありました。
近世城郭はともかく、中世城郭は実際は曲輪の中がどうなっていたのかとか、建物があったかどうかなど分からないことが多いです。
こういう機会ではないと全面的に発掘調査をすることはないのです。
城跡がなくなってしまうことはとても残念ですが、城跡の内部の様子がわかるという意味では貴重な調査です。
櫓門の隣の土塁です。
梯子で登ります。
今回は山城なので非常に危ない場所も多いです。
三重県埋蔵文化財センターの調査ですが、とても多くの職員が出ていて、安全面にも配慮されていました。
土塁の上で見つかった礎石建物です。
礎石は8個ありました。
3間×1間の建物が想定できますが、礎石が失われて3間×2間の建物の可能性があると説明していました。
礎石のならびに不自然を感じました。
もしかいると小さい2棟の建物だったかもしれません。
主郭内は、掘立柱建物だったのに、ここは礎石建物というのは、それだけ重要な場所だったのでしょうか。
土塁の隅にあった集石です。
15~20センチの大きさの丸石で、石つぶてということでした。
戦いのときにこの土塁上から石を投げたということでした。
実際に石つぶてが見つかることは珍しいことです。
ただ、城跡にはこのような石は多く散在していて、ほんとうにココだけなのかとも感じました。
伊坂城の図面です。
色のついているところが調査範囲です。
左が主郭、その右が曲輪2です。
水色は堀址です。
主郭から見た曲輪2です。
主郭と曲輪2の間の堀切です。
底は平たく堀底道になっていました。
ここを経由して主郭に入りました。
曲輪2の内部です。
かまどの跡や柱穴が見つかっています。
曲輪2に登る階段の跡です。
数段のみ見つかりました。
曲輪2は独立した曲輪で、どの曲輪とも連絡していません。
堀底道を来た敵兵を主郭と曲輪2から挟み撃ちする構造で、優れた縄張りです。
でも曲輪2は逃げ場がなく、攻められたら全滅するしかありません。
いわば決死隊の曲輪です。
下からみた曲輪2です。
切岸の高さがわかります。
見学者もこの梯子を上り下りします。
見学も大変です。
曲輪2の南の堀切です。
幅広い堀切です。
底は箱堀でした。
遺物です。
天目茶碗、すり鉢、大甕、土師器、古銭、砥石、火縄銃の弾、貝殻が見つかっています。
貝殻はハマグリやサザエなどで伊坂城の人が何を食べていたのかがわかり興味深いです。
伊坂城の歴史は永禄11年に織田信長に攻められて落城したとされていますが、発掘調査の結果、16世紀後半にも城があった可能性がわかりました。
櫓門の存在や縄張りから、小牧長久手合戦時に使用された可能性もあると思います。
今更工事の計画を変更することは不可能でしょうが、事前にもうすこし何とかできなかったのかと残念に思います。