長篠城@愛知県新城市 その2 [お城踏査]

長篠城の続きです。

nagoya 308.jpg

本丸です。
今は広場になっています。

nagoya 287.jpg

昨日も紹介した鳥居強右衛門です。

実は、長篠城から援軍要請の使者として抜け出したのは強右衛門だけではありませんでした。

鈴木金七というもう一人の使者がいたのです。
金七も無事に抜け出して、岡崎城の家康のところに着き、再び城に戻り援軍が来る狼煙をあげたのです。
使者の役割はここまでで良かったのです。
金七は城に戻りませんでした。

強右衛門はなぜ危険を冒して城に戻ろうとしたのでしょうか。

その理由はわかりませんが、その後の2人の子孫を見ると想像がつきます。

金七は戦いが終わると百姓にもどり、地元で暮らしました。
強右衛門はそれまで下級の武士でしたが、子孫は奥平氏の家老にまで取り立てられて出世しています。

強右衛門は自分の命をかけることで、子孫に繁栄をもたらせたのでした。

nagoya 283.jpg

資料館にあった長篠城図です。

長篠合戦もいろいろなエピソードがあり、興味深いです。

長篠城@愛知県新城市 [お城踏査]

長篠城は愛知県新城市鳳来町にあった中世城郭です。

nagoya 306.jpg

石碑です。
長篠合戦の舞台としても有名ですね。

nagoya 305.jpg

縄張り図です。

図を見ても明らかのように豊川と寒狭川の合流点という要害の場所に築かれていました。
奥平信昌を大将に500人の兵隊で、武田勝頼の1万3千人の猛攻を防ぎました。
長篠城が落城しなかったことが長篠合戦の最大の要因です。

nagoya 304.jpg

城跡にある史跡保存館です。
城らしい外観です。

nagoya 303.jpg

資料館の中には長篠城の城門の扉が展示してあります。
なかなか大きいです。

nagoya 287.jpg

中には鳥居強右衛門の磔になった姿の旗差し物がありました。
籠城中の城内は落城寸前でした。
鳥居強右衛門は城を抜け出して岡崎城まで徳川家康に援軍の要請に向かいます。
そこで織田信長に会い、援軍がすぐそこまで来ていることを知り、城に戻ります。
近くの山で援軍が来ることを狼煙で知らせ、直接伝えるために城に戻るところを武田軍に見つかってしまいます。
武田勝頼は援軍が来ないと嘘を言えば恩賞を与えると説得して、強右衛門は了解します。
しかし、城の近くまで連れて行かれると大音声で「援軍はすぐ来る」と叫びました。
それを聞いて城内の指揮はあがりましたが、強右衛門は磔になってしまいました。

その姿を見た武田氏の家臣の落合左平次は旗指物に使いました。

しかし、そのおかげで強右衛門の子孫は奥平氏の家老になりました。

nagoya 312.jpg

本丸の堀です。
中世城郭にしては深くて広いです。
おまけに折りが付けられています。
かなり軍事的に優れていました。

nagoya 307.jpg

土塁です。
かなり高いです。

nagoya 313.jpg

長篠合戦図屏風に描かれる長篠城です。
天守や石垣はない粗末な城でした。
でも要害の地に築かれ、堀も深い優れた縄張りだったため落城しませんでした。
城内の士気も高かった。

というのも奥平氏は以前は武田氏に味方していましたが、武田信玄の死後は徳川氏に味方しました。
武田氏を裏切ったのです。
そのため徳川氏に最前線の城をまかされても、武田氏に降伏するわけには行かなかったのです。
戦いに勝てば未来が開けます。

その結果奥平信昌は家康の娘亀姫をもらい、順調に出世して、大名になりました。
しかし、亀姫は強く、信昌は一生頭が上がらなかったようです。


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。