徐福公園 [歴史雑話]

和歌山市新宮市に徐福公園があります。

nagoya 415.jpg

中国らしい門です。

徐福公園の説明です。
新宮市のHPより

徐福は今から2200年ほど前、中国を統一した秦の始皇帝に仕え、その命により、東方海上の三神山にあるという不老不死の霊薬を求めて、3000人の童男童女を引き連れ、この熊野に渡来したと伝えられています。

徐福一行は、この地に自生する「天台烏薬(てんだいうやく)」という薬木を発見しましたが、気候温暖、風光明媚、更には土地の人々の暖かい友情に触れ、ついにこの地を永住の地と定め、土地を拓き、農耕、漁法、捕鯨、紙すき等の技術をこの地に伝えたと言われています。

徐福の渡海は、中国の有名な歴史書である『史記』にも記されています。
1982年、中国の江蘇省連雲港市(こうそしょうれんうんこうし)において徐福村が発見され、徐福が実在の人物として学術研究会で発表されるようになりました。

徐福村には祠も再建され、その内部には東方を向いたりりしい徐福の座像がまつられています。
日本国内には徐福渡来の伝承地がいくつかあり、古くから地域伝承を育み、様々な文化が形づくられてきました。
特に熊野地域には徐福渡来の地として数々の伝承資料が残り、鎌倉時代には文献に出てきます。
JR新宮駅から東にわずか100mのところに「徐福の墓」があり、蓬莱山南麓の阿須賀神社には「徐福の宮」もあります。
平成6年8月、「徐福の墓」を中心に極彩 色豊かな中国風楼門を配した整備を行い、「徐福公園」としてオープンしました。

nagoya 417.jpg

徐福の像です。

徐福の伝説は日本各地にあります。
新宮市のものは関係史跡も多く信憑性が高く感じます。

nagoya 418.jpg

公園内は、クスノキの巨木と天台烏薬に囲まれ、徐福の墓や、徐福像、不老の池、徐福が亡くなった時殉死したと伝えられている7人の重臣の墓が建立されています。

管理棟では、「徐福茶」「徐福之精」「徐福ロマン」などを、販売しています。


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。