新宮城@和歌山県新宮市 その3 [お城踏査]
新宮城の続きです。
水の手です。
熊野川に面していて、川に降りれるようになっていました。
この部分のみは発掘調査に基づき整備されています。
船が入れるようになっています。
石垣も積みなおされてきれいになっています。
川辺には炭納屋群があったことが発掘調査によりわかりました。
多くの納屋があったために、熊野川の炭を城内で専売していたと考えられています。
城内での経済施設はとても珍しいものです。
最後に新宮城の歴史を簡単に紹介します。
関ケ原合戦後に紀伊に入った浅野幸長は、新宮に浅野忠吉を配して築城を開始しました。
元和元年の一国一城令により、廃城となりますが、元和4年に熊野地方は要ということで復活しました。
元和5年に浅野氏に代わって紀伊に御三家の一つとして徳川頼宣が55万石で入り、新宮城には家老の水野氏が入りました。
明治になると廃城となって建物はすべて取り壊されました。
(終わり)
水の手です。
熊野川に面していて、川に降りれるようになっていました。
この部分のみは発掘調査に基づき整備されています。
船が入れるようになっています。
石垣も積みなおされてきれいになっています。
川辺には炭納屋群があったことが発掘調査によりわかりました。
多くの納屋があったために、熊野川の炭を城内で専売していたと考えられています。
城内での経済施設はとても珍しいものです。
最後に新宮城の歴史を簡単に紹介します。
関ケ原合戦後に紀伊に入った浅野幸長は、新宮に浅野忠吉を配して築城を開始しました。
元和元年の一国一城令により、廃城となりますが、元和4年に熊野地方は要ということで復活しました。
元和5年に浅野氏に代わって紀伊に御三家の一つとして徳川頼宣が55万石で入り、新宮城には家老の水野氏が入りました。
明治になると廃城となって建物はすべて取り壊されました。
(終わり)
新宮城@和歌山県新宮市 その2 [お城踏査]
新宮城の続きです。
出丸です。
石垣がよく残っています。
豆腐の様な形をしています。
本丸の虎口です。
内枡形になっています。
今は出口は塞がれています。
天守の跡です。
今はなにもありません。
公園化により破壊されて、天守台の痕跡もありません。
天守台付近です。
山上にはかつて旅館が建てられていて、大きく旧状が変わっています。
新宮城も天守を復元したいという動きがあるようです。
櫓台です。
きれいな石垣の積みかたです。
鐘の丸の枡形門です。
松の丸の虎口です。
山上の曲輪は石垣や門の跡が良く残っています。
麓から見た新宮城です。
山上の石垣が映えます。
麓の寺院の周囲にも石垣が残っています。
二の丸です。
塀と組み合わされてお城みたいです。
民家の間に部分的に石垣が残っています。
正保城絵図の新宮城の麓の部分です。
このあたりの石垣が残っています。
出丸です。
石垣がよく残っています。
豆腐の様な形をしています。
本丸の虎口です。
内枡形になっています。
今は出口は塞がれています。
天守の跡です。
今はなにもありません。
公園化により破壊されて、天守台の痕跡もありません。
天守台付近です。
山上にはかつて旅館が建てられていて、大きく旧状が変わっています。
新宮城も天守を復元したいという動きがあるようです。
櫓台です。
きれいな石垣の積みかたです。
鐘の丸の枡形門です。
松の丸の虎口です。
山上の曲輪は石垣や門の跡が良く残っています。
麓から見た新宮城です。
山上の石垣が映えます。
麓の寺院の周囲にも石垣が残っています。
二の丸です。
塀と組み合わされてお城みたいです。
民家の間に部分的に石垣が残っています。
正保城絵図の新宮城の麓の部分です。
このあたりの石垣が残っています。