羽津城@三重県四日市市 [お城踏査]

羽津城は三重県四日市市羽津山町にあった中世城郭です。

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羽津城の石碑です。

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羽津城は小高い丘の上にありました。
現在は公園となっていて、土塁の一部が残っています。

羽津城は、田原盛宗によって築かれました。

浜田城のところで紹介したように、田原氏は、上野国赤堀庄にいましたが、応永年間(1394~1428)に景信が伊勢に移って、四日市の赤堀に城を築きました。

景信は、長男の盛宗を羽津城に、次男の秀宗を赤堀城に、そして三男の忠秀を浜田城に配しました。

羽津城は、盛宗から近宗まで六代続きましたが、小牧長久手合戦の時に、近宗が謀殺されて落城して、廃城となりました。

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城跡を近鉄列車が貫通しています。
トンネルになっているので、渡ることはできます。

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城跡を通る近鉄列車です。


浜田城@三重県四日市市 [お城踏査]

浜田城は三重県四日市市浜田町堀の内にあった中世城郭です。
鵜の森公園のなかにあります。

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公園内に建つ石碑です。

公園には鵜森神社があります。

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土塁です。

ほぼ円形に残っています。

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公園の池は堀の名残です。

雰囲気でています。

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説明です。

浜田城は、15世紀後半に田原美作守忠秀によって築かれました。
田原氏は、はじめは上野国赤堀庄(群馬県)にいましたが、応永年間(1394~1428)に田原景信のときに伊勢に移りました。
そして、四日市市の赤堀に城を造りました。

景信は、長男の盛宗を羽津城に、次男の秀宗を赤堀城に、三男の忠秀を浜田城に配しました。
これが世にいう赤堀三家です。

忠秀の孫の元網の時に、織田信長の家臣、瀧川一益に攻められ落城しました。
子の重綱は、織田信雄に仕えますが、小牧長久手合戦で討ち死にして、浜田家は滅びました。

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鵜森神社です。

浜田城は近鉄四日市駅のすぐ近く、四日市市街地の真ん中にあります。
市街地にありながら遺構が残っているのは、鵜森神社が建てられたからです。

今後も、長く遺構を残して欲しいです。

白山平泉寺調査研究最前線 [お城情報]

白山平泉寺調査研究最前線
日 時 2015年3月14日(土) 13時30分~
お城のイベントの案内です。
直接お城ではありませんが、山林寺院に関するものです。
興味のある方は是非。


場 所 白山平泉寺歴史探遊館まほろば(福井県平泉寺町平泉寺66-2-12 )
定 員 150名(不要申込)
参加費 無料
内 容
・1時30分~ 「東尋坊跡の発掘成果」藤本康司氏(勝山市教育委員会)
 ・1時40分~ 「中世大野の城下町と白山信仰」佐々木伸治氏(大野市教育委員会)
 ・2時15分~ 「白山・平泉寺の歴史景観復元~文化遺産情報の記録と発信~」山口欧志氏(帝塚山大学)阿部来氏(勝山市教育委員会)
 ・2時35分~ 「世界の宗教都市と白山平泉寺」宇野隆氏(帝塚山大学)
その他
問合せ
平泉町教育委員会
0779-88-8113

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