折戸城@愛知県日進市 [お城踏査]

折戸城@愛知県日進市折戸町にあった中世城郭です。

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石碑です。

八幡神社の境内に建てられています。

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城跡は神社になっています。

文明3年(1471)、に丹羽氏従が築城しました。
丹羽氏はこの地方の土豪で、岩崎城の城主も丹羽氏でした。

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城跡です。
林の中に一部堀が残っています。


米ノ木城@愛知県日進市 [お城踏査]

米ノ木城は愛知県日進市米野木町にあった中世城郭です。

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東部福祉会館の前に石碑が建てられています。

遺構は何もありません。

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石碑は昭和31年に建てられたものです。

城主も不明です。




岩崎城@愛知県日進市 [お城踏査]

岩崎城は愛知県日進市岩崎町にあった中世城郭です。

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城跡に建つ模擬天守です。

岩崎城は中世城郭でしたので、もちろんこんな天守はありませんでした。
日進町(日進市の前身)の時代に全国のお城ブームに乗って無理やり建てたものです。
中は展望台になっています。
歴史的にまったくのニセモノ天守です。
おまけに下からよく見えるように本来櫓があった場所ではないところに建ててあります。
まぁ、そのおかげで本来の櫓台は保護されましたが、虎口など別の遺構は壊されました。

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岩崎城の現況のイラストです。

公園になっています。
主郭には資料館が建てられています。

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模型です。
かつては遺構が良く残っていました。

主郭の前に大きな馬出が造られています。
小牧長久手合戦のときに改修されたと推定されます。

岩崎城は小牧長久手合戦のときに重要な役割を果たします。

豊臣秀吉の家臣の池田恒興と森長可はこう着状態が続く戦線に活路を見い出そうと、別働隊で徳川家康の本拠地三河を襲おうと秀吉に進言します。
この作戦は中入りといい、とても危険な作戦だったので秀吉は許可しませんでした。
しかし、前の羽黒の戦いで徳川軍に敗れていた森長可は、名誉挽回のため秀吉に迫ります。
ついに根負けした秀吉はね豊臣秀次を大将にして、軍を送ります。

ところが、途中の小城の岩崎城が鉄砲を撃ちかけてきたので、よせばいいのについでに踏み潰そうとして攻撃をします。
城主の丹羽氏は合戦のため留守で、城を守るのはわずか500の兵でした。
あっという間に攻め落とされます。
城を落として一服していると、別働隊が三河を目指していることをいち早く知った徳川家康自らが出陣して、休憩していた豊臣軍に襲い掛かります。

戦上手の家康自らでは、実戦経験の乏しい豊臣秀次は簡単に敗走します。
同じく堀秀政は家康には勝てないと戦線を離脱します。

残された池田恒興と森長可は家康と戦いますが、池田恒興と子の池田元助、森長可は戦死してしまいます。
大将級の武将が3人も死亡する大敗になりました。

これも小軍で大軍の池田隊を引き止めた岩崎城の活躍があったからこそです。

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堀址です。
中世城郭にしては堀は大きいです。
箱堀になっていました。

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本丸に復原された井戸です。
本来はもっと深かったです。

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櫓台の跡です。
土塁は良く残っています。





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