尾山神社 [神社]
尾山神社は金沢市にある神社です。
かつての金沢城の金谷御殿の跡に建てられました。
鳥居と神門です。
尾山神社は前田利家と妻の松を祀っています。
江戸時代には幕府に遠慮して公然と前田利家を祀る事はできませんでした。
明治になってから正式に尾山神社として祀りました。
尾山神社のシンボルといえばこの神門です。
なんとも神社には相応しくない佇まいです。
明治8年の建築で、和漢洋の様式を取り入れたものです。
一番上には羅針盤が付けられています。
これは日本最古のものです。
かつての金沢城の金谷御殿の跡に建てられました。
鳥居と神門です。
尾山神社は前田利家と妻の松を祀っています。
江戸時代には幕府に遠慮して公然と前田利家を祀る事はできませんでした。
明治になってから正式に尾山神社として祀りました。
尾山神社のシンボルといえばこの神門です。
なんとも神社には相応しくない佇まいです。
明治8年の建築で、和漢洋の様式を取り入れたものです。
一番上には羅針盤が付けられています。
これは日本最古のものです。
兼六園 [歴史雑話]
兼六園です。
偕楽園、後楽園と並び、日本三名園の一つです。
金沢城の隣にあります。
江戸時代の代表的な林泉回遊式庭園です。
五代藩主前田綱紀が別荘蓮池御亭を建てたのが始まりです。
その後11代治脩が翠滝、夕顔亭を作りました。
12代斉廣のときに竹沢御殿が建てられました。
13代斉泰は竹沢御殿を取り壊して、霞ケ池を拡張して、サザエ山を作りました。
いろいろな表情があります。
見ていて飽きません。
兼六園の名は「宏大、幽邃、人力、蒼古、水泉、眺望」の六勝を兼備することから付けられました。
サザエ山です。
サザエのようにくるくる回って登ります。
山頂の石垣は金沢城の石垣のようにきれいなモザイク積みになっています。
噴水です。
日本最古の噴水です。
サイホン式で水を噴き上げています。
偕楽園、後楽園と並び、日本三名園の一つです。
金沢城の隣にあります。
江戸時代の代表的な林泉回遊式庭園です。
五代藩主前田綱紀が別荘蓮池御亭を建てたのが始まりです。
その後11代治脩が翠滝、夕顔亭を作りました。
12代斉廣のときに竹沢御殿が建てられました。
13代斉泰は竹沢御殿を取り壊して、霞ケ池を拡張して、サザエ山を作りました。
いろいろな表情があります。
見ていて飽きません。
兼六園の名は「宏大、幽邃、人力、蒼古、水泉、眺望」の六勝を兼備することから付けられました。
サザエ山です。
サザエのようにくるくる回って登ります。
山頂の石垣は金沢城の石垣のようにきれいなモザイク積みになっています。
噴水です。
日本最古の噴水です。
サイホン式で水を噴き上げています。
金沢城 大手門 [お城踏査]
金沢城の大手門です。
今は石垣のみです。
石川門が金沢城の大手門みたいなイメージですが、この門が大手門でした。
尾坂門ともいいました。
枡形門になっていました。
石垣の隅石が縦に積まれています。
珍しい形です。
江戸時代には高麗門のみで櫓門はありませんでした。
大手門としては質素です。
石垣はきれいな積み方です。
金沢城の石垣はそれぞれ特徴があり、すばらしいです。
大手門仕正面の石垣です。
特に大きな石を使っています。
これは「鏡石」といって城の権威を示すために使われました。
名古屋城や大阪城でも使われています。
大手門脇の水堀です。
大手門ですが、今は実際にこの門から入る人は稀です。
観光ルートからは外れているので、殆どいませんでした。
金沢城公園の図です。
図の上の方で金沢城公園と書いてある文字の「公園」の上あたりが大手門です。
今は石垣のみです。
石川門が金沢城の大手門みたいなイメージですが、この門が大手門でした。
尾坂門ともいいました。
枡形門になっていました。
石垣の隅石が縦に積まれています。
珍しい形です。
江戸時代には高麗門のみで櫓門はありませんでした。
大手門としては質素です。
石垣はきれいな積み方です。
金沢城の石垣はそれぞれ特徴があり、すばらしいです。
大手門仕正面の石垣です。
特に大きな石を使っています。
これは「鏡石」といって城の権威を示すために使われました。
名古屋城や大阪城でも使われています。
大手門脇の水堀です。
大手門ですが、今は実際にこの門から入る人は稀です。
観光ルートからは外れているので、殆どいませんでした。
金沢城公園の図です。
図の上の方で金沢城公園と書いてある文字の「公園」の上あたりが大手門です。
金沢城 石川門 [お城踏査]
金沢城の石川門です。
金沢城と言えば、この景色というくらい定番ですね。
かつては金沢大学が城内にあったころはここから入りました。
石川門は現存遺構です。
石川門は何度か火災で焼失しています。
現在の門は、天明8年(1788)に再建されたものです。
高麗門と隅櫓です。
意外と写真が撮りにくいです。
枡形内から見た高麗門と隅櫓です。
枡形門は、通常は多聞櫓と高麗門ですが、金沢城の石川門は、二重櫓がそれに加わりかなり強力です。
櫓門です。
出窓もあり、意匠的には河北門と似ています。
枡形の多聞櫓デス。
枡形の4分の3は多聞櫓に囲まれています。
石川門という名は、石川郡の方に向いている城門なので付けられたと言われています。
門の柱の下部です。
鉄が巻いてあります。
石川門の櫓門の戸です。
重厚な扉です。
城内から見た櫓門です。
窓が少なく、また違った顔を見せています。
櫓門の入口です。
高さに高低差があります。
左が櫓門で右が多聞櫓です。
多聞櫓には海鼠壁になっています。
城内から見た多聞櫓と二重櫓(右)です。
金沢城と言えば、この景色というくらい定番ですね。
かつては金沢大学が城内にあったころはここから入りました。
石川門は現存遺構です。
石川門は何度か火災で焼失しています。
現在の門は、天明8年(1788)に再建されたものです。
高麗門と隅櫓です。
意外と写真が撮りにくいです。
枡形内から見た高麗門と隅櫓です。
枡形門は、通常は多聞櫓と高麗門ですが、金沢城の石川門は、二重櫓がそれに加わりかなり強力です。
櫓門です。
出窓もあり、意匠的には河北門と似ています。
枡形の多聞櫓デス。
枡形の4分の3は多聞櫓に囲まれています。
石川門という名は、石川郡の方に向いている城門なので付けられたと言われています。
門の柱の下部です。
鉄が巻いてあります。
石川門の櫓門の戸です。
重厚な扉です。
城内から見た櫓門です。
窓が少なく、また違った顔を見せています。
櫓門の入口です。
高さに高低差があります。
左が櫓門で右が多聞櫓です。
多聞櫓には海鼠壁になっています。
城内から見た多聞櫓と二重櫓(右)です。