岡崎城@静岡県袋井市 [お城踏査]

岡崎城は静岡県袋井市山﨑字岡崎にあった中世城郭です。

岡崎城と言っても徳川家康が生まれた岡崎城ではありません。

岡崎の城山とも呼ばれています。

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全景です。

丘陵の先端に築かれていました。

かつては海がすぐ近くまで来ていたそうです。

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土塁です。

とはいっても、ものすごい薮で、城内には入ることは冬場でも困難です。
なにしろ竹薮が酷くて、全く手入れされていなく、まっすぐ進めません。
夏場はそれに加えて薮蚊、毒虫、蛇の危険があり、進入は不可能です。
それに城跡の説明も石碑もありません。

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岡崎城の縄張り図です。
加藤理文氏の作図です。
よくあのブッシュの中作図したものだと感心します。

図のように2つの曲輪からの城ですが、横矢掛のある土塁や櫓台があり、戦国期の城です。
徳川家康が高天神城攻めのために築いたと推定されています。

とても素晴らしい遺構の城なので、せめて薮を払って見やすく整備してほしいですね。


中泉陣屋の門 [移築建物]

中泉陣屋の門と伝えられる門が中泉寺に移築されています。

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これが門です。

お寺の山門として移築されていますが、陣屋の裏門と言われています。
しかし、お寺にはそのような説明などはありませんでした。

中泉陣屋とは静岡県磐田市中泉にあった陣屋です。
天領支配のための代官陣屋でした。


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門扉です。

葵の紋が入っています。

しかし、扉は金具で吊っておらず、城や陣屋の門とは思えません。
形も寺院の門の形態で、陣屋の門という伝承は疑問です。

表門は市内の個人宅に、もう一つの門は西願寺に移築されていますが、未訪問です。
機会があれば訪ねてみたいです。

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中泉寺の玄関です。
唐破風の屋根で、重みのある玄関です。


十二所館@静岡県袋井市 [お城踏査]

十二所館は静岡県袋井市諸井にあった中世城館です。

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心宗寺が城跡です。

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土塁です。

お寺の周囲に部分的に残っています。

高さは1メートルほどです。

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心宗寺の南の公園に説明板があります。

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遺構図です。

発掘調査の結果東西85メートル、南北130メートルの堀が見つかっています。

以前、発掘調査がされて興味深い遺構が出ています。

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それがこの遺構です。

虎口の前に馬出が築かれていました。

とても小さくかわいいものです。

そして馬出の外の堀には木杭が多く打たれていました。

この馬出により十二所館は城の研究者の間では結構有名です。

この遺構をどう見るかが問題です。

心宗寺自体が戦国期に武装化したものか、あるいは他の大名権力によって陣城として築かれたのかです。

そこでこの十二所館の位置が問題となります。

天正2年に武田勝頼が高天神城を攻略します。

それに対抗して徳川家康は馬伏塚城を築きました。
十二所館は馬伏塚城よりも浜松城側にあります。

そう考えるとこの十二所館は徳川家康によって高天神城攻めのために作られたと考えることが出来ます。

ただ、一つ問題があります。

天正2年当時の徳川氏が馬出の技術を持っていたかどうかです。
一般的に丸馬出は武田氏の築城技術とされ、徳川氏がその技術を得たのは天正10年に武田氏が滅んだときにその遺臣を家康が多く召抱えたためと言われます。

そうすると天正の早い時期に徳川家康がこの技術をもっていたかが問題となります。

馬出の遺構は今は埋められていて見ることはできません。


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