北外山砦@愛知県小牧市 [お城踏査]
北外山砦は愛知県小牧市にあった砦です。
蟹清水砦と同じく小牧・長久手合戦の砦です。
石碑です。
石碑には「北外山城跡」と刻まれています。
かつてはここより50mほど離れた民家の庭にありました。
そうするとここは城跡ではない?
城嶋稲荷が今はあります。
でも矢鱈と新しそうです。
城嶋稲荷移転記念の碑です。
そうするとこの稲荷社も移転されてきたのでしょうか。
説明板です。
平成25年に建てられたものです。
新しいものです。
神社や碑の移転に伴って建てられたのでしょうか。
それによると、北外山砦は、廃城となっていた織田與四郎の居城を徳川家康が改修した砦です。
このあたりの経緯は、蟹清水砦とまったく同じですね。
本田忠勝、松平家忠らが守備しました。
東西27間、南北20間の規模でした。
そう大きな砦ではありませんね。
四方に高さ1間の土塁がありました。
かつては土塁の一部が残っていたようですが、現在は宅地化により消滅してしまいました。
ただ、城前、城嶋という地名のみが当時を偲ばせます。
蟹清水砦と同じく小牧・長久手合戦の砦です。
石碑です。
石碑には「北外山城跡」と刻まれています。
かつてはここより50mほど離れた民家の庭にありました。
そうするとここは城跡ではない?
城嶋稲荷が今はあります。
でも矢鱈と新しそうです。
城嶋稲荷移転記念の碑です。
そうするとこの稲荷社も移転されてきたのでしょうか。
説明板です。
平成25年に建てられたものです。
新しいものです。
神社や碑の移転に伴って建てられたのでしょうか。
それによると、北外山砦は、廃城となっていた織田與四郎の居城を徳川家康が改修した砦です。
このあたりの経緯は、蟹清水砦とまったく同じですね。
本田忠勝、松平家忠らが守備しました。
東西27間、南北20間の規模でした。
そう大きな砦ではありませんね。
四方に高さ1間の土塁がありました。
かつては土塁の一部が残っていたようですが、現在は宅地化により消滅してしまいました。
ただ、城前、城嶋という地名のみが当時を偲ばせます。
蟹清水砦@愛知県小牧市 [お城踏査]
蟹清水砦は愛知県小牧市小牧にあった砦です。
石碑です。
昭和62年に建てられました。
小牧・長久手合戦のときの砦です。
説明です。
もともとは織田信長の小牧山築城の際には丹羽長秀の屋敷があった場所です。
小牧・長久手合戦の際には、徳川家康は、この屋敷を改修して砦として、北外山砦、歌津砦を結んで防備を固めました。
砦の規模は東西46間、南北61間と伝えられます。
昭和20年頃までは堀が残っていたようです。
江戸時代には小牧御殿の一角となり、庭園の一部になっていました。
地名のように清水が湧き、蟹がいたのでしょうか。
現在は遺構は全くありません。
蟹清水砦の碑より道路を挟んだ反対側に小牧御殿の碑があります。
この一画は小さな神社となっています。
神社といっても小さな祠があるのみです。
御殿竜神の旗があります。
江戸時代には尾張藩主の御殿が建てられていました。
小牧御殿竜神の碑です。
小牧御殿も遺構はありません。
石碑です。
昭和62年に建てられました。
小牧・長久手合戦のときの砦です。
説明です。
もともとは織田信長の小牧山築城の際には丹羽長秀の屋敷があった場所です。
小牧・長久手合戦の際には、徳川家康は、この屋敷を改修して砦として、北外山砦、歌津砦を結んで防備を固めました。
砦の規模は東西46間、南北61間と伝えられます。
昭和20年頃までは堀が残っていたようです。
江戸時代には小牧御殿の一角となり、庭園の一部になっていました。
地名のように清水が湧き、蟹がいたのでしょうか。
現在は遺構は全くありません。
蟹清水砦の碑より道路を挟んだ反対側に小牧御殿の碑があります。
この一画は小さな神社となっています。
神社といっても小さな祠があるのみです。
御殿竜神の旗があります。
江戸時代には尾張藩主の御殿が建てられていました。
小牧御殿竜神の碑です。
小牧御殿も遺構はありません。