一色城@愛知県南知多町 [お城踏査]
一色城は愛知県南知多町内海にあった中世城郭です。
城跡にある説明板です。
近年立てられました。
それによると一色城の城主一色氏の先祖一色範氏は三河国吉良庄一色の出身で、子の範光が観応5年に宮山城(大野城)を築きました。
一色氏は分国守護として勢力を蓄えて、渥美半島にも進出します。
範光は一色城を築きました。
一色城の縄張り図です。
図のように尾根の先端部分を掘り切って曲輪を築いています。
城跡は公園となっています。
先端部には展望台も設置されています。
堀と土塁を見ようと奥に進むと、このような激しいブッシュ。
竹薮が荒れ果てていて、人一人がやっと通れる細い道が続きますが、それも次第になくなって進退窮まりました。
せめて堀まではきれいに伐採して見れるようにして欲しいですね。
城跡にある説明板です。
近年立てられました。
それによると一色城の城主一色氏の先祖一色範氏は三河国吉良庄一色の出身で、子の範光が観応5年に宮山城(大野城)を築きました。
一色氏は分国守護として勢力を蓄えて、渥美半島にも進出します。
範光は一色城を築きました。
一色城の縄張り図です。
図のように尾根の先端部分を掘り切って曲輪を築いています。
城跡は公園となっています。
先端部には展望台も設置されています。
堀と土塁を見ようと奥に進むと、このような激しいブッシュ。
竹薮が荒れ果てていて、人一人がやっと通れる細い道が続きますが、それも次第になくなって進退窮まりました。
せめて堀まではきれいに伐採して見れるようにして欲しいですね。
岡崎城 [お城踏査]
岡崎城に久しぶりに行きました。
二の丸から天守を見るとびっくり
天守が見えました。
木を切ったのです。
北から見た天守です。
余分な木が無くなり、天守の形がよくわかります。
小田原城では、伸び過ぎた展望を妨げる木を切ろうとしたら、自然保護団体の猛抗議を受けてかなり計画を変更したことがありました。
もともと江戸時代には城内にはそれほど木は生えておらず、明治以降に植えた木が多いようです。
特に城跡に多い桜はほとんど明治以降に植えられたものです。
殿様は城で花見をしていたわけではないようです。
そして木は伸びるものなので、放っておけばどんどん伸びます。
そして木によってお城が隠れてしまうことも多いようです。
毎年適切に剪定しておれば、よいのですが、いい加減伸びてから切ろうとするので余慶に反発を買うようです。
木を切ることがすべて悪ではないでしょう。
本丸の北の堀です。
堀もよく見えるようになりました。
南から見た天守です。
2本の大きな松が邪魔です。
江戸時代にはこんな風に生えていなかったので、是非伐採して欲しいですね。
天守の隣りには竜城神社が鎮座しています。
この神社も江戸時代にはありませんでした。
今は景観に馴染んでいますが、出来ることなら移転して欲しいですね。
西から見た岡崎城天守です。
こちらからも木が伸びすぎて天守が隠れています。
今度はこちらの木の剪定もして欲しいですね。
本丸の石垣です。
右側が虎口です。
東からの天守です。
こちらからも見やすくなりました。
二の丸から天守を見るとびっくり
天守が見えました。
木を切ったのです。
北から見た天守です。
余分な木が無くなり、天守の形がよくわかります。
小田原城では、伸び過ぎた展望を妨げる木を切ろうとしたら、自然保護団体の猛抗議を受けてかなり計画を変更したことがありました。
もともと江戸時代には城内にはそれほど木は生えておらず、明治以降に植えた木が多いようです。
特に城跡に多い桜はほとんど明治以降に植えられたものです。
殿様は城で花見をしていたわけではないようです。
そして木は伸びるものなので、放っておけばどんどん伸びます。
そして木によってお城が隠れてしまうことも多いようです。
毎年適切に剪定しておれば、よいのですが、いい加減伸びてから切ろうとするので余慶に反発を買うようです。
木を切ることがすべて悪ではないでしょう。
本丸の北の堀です。
堀もよく見えるようになりました。
南から見た天守です。
2本の大きな松が邪魔です。
江戸時代にはこんな風に生えていなかったので、是非伐採して欲しいですね。
天守の隣りには竜城神社が鎮座しています。
この神社も江戸時代にはありませんでした。
今は景観に馴染んでいますが、出来ることなら移転して欲しいですね。
西から見た岡崎城天守です。
こちらからも木が伸びすぎて天守が隠れています。
今度はこちらの木の剪定もして欲しいですね。
本丸の石垣です。
右側が虎口です。
東からの天守です。
こちらからも見やすくなりました。