金沢城玉泉院丸庭園 [お城復元]
金沢城玉泉院丸庭園は玉泉院丸にあった庭園で、今年の北陸新幹線開業に合わせて整備されてオープンしました。
入口です。
案内図です。
庭園の全景です。
以前は体育館が建てられていて見る影もなかったのですが、きれいに復元されました。
この庭園は三代藩主前田利常が作庭をしました。
兼六園が饗応の施設だったのに対して、玉泉院丸庭園は藩主の私的な庭園でした。
辰巳用水から水を引いた池泉回遊式の大名庭園です。
奥の建物は休憩所として建てられた玉泉庵です。
お抹茶も飲めます。
まだ出来たばかりで樹も小さいので、今後庭園らしくなっていくでしょうね。
玉泉院丸から見た三十間長屋です。
三十間長屋は本丸にある多聞櫓です。
木を切ったためによく見えるようになりました。
今まで全く存在感がなくて、忘れられた建物だったのですが、こうして見たら存在感あります。
ちょっと驚きでした。
整備したために石垣もよく見えるようになりました。
金沢城の特色のモザイク石垣です。
石を縦に積んでいます。
上のほうにV字形の石材がありますが、そこから以前は水を落として滝にしていたそうです。
きれいに積まれています。
よくみると刻印もあります。
入口です。
案内図です。
庭園の全景です。
以前は体育館が建てられていて見る影もなかったのですが、きれいに復元されました。
この庭園は三代藩主前田利常が作庭をしました。
兼六園が饗応の施設だったのに対して、玉泉院丸庭園は藩主の私的な庭園でした。
辰巳用水から水を引いた池泉回遊式の大名庭園です。
奥の建物は休憩所として建てられた玉泉庵です。
お抹茶も飲めます。
まだ出来たばかりで樹も小さいので、今後庭園らしくなっていくでしょうね。
玉泉院丸から見た三十間長屋です。
三十間長屋は本丸にある多聞櫓です。
木を切ったためによく見えるようになりました。
今まで全く存在感がなくて、忘れられた建物だったのですが、こうして見たら存在感あります。
ちょっと驚きでした。
整備したために石垣もよく見えるようになりました。
金沢城の特色のモザイク石垣です。
石を縦に積んでいます。
上のほうにV字形の石材がありますが、そこから以前は水を落として滝にしていたそうです。
きれいに積まれています。
よくみると刻印もあります。
金沢城河北門 [お城復元]
金沢城河北門です。
平成22年に復元されました。
枡形門です。
河北門は、石川門、橋爪門とともに金沢城三御門のひとつです。
城内から見た河北門です。
左奥は五十間長屋です。
河北門の一の門です。
右奥は菱櫓です。
河北門も中に入ることが出来ます。
河北門の内部です。
こちらも天井がないため梁などがよく見えます。
金沢城は北陸新幹線の開通の影響で平日にも関わらず賑わっていましたが、河北門はお客さんは少なかったです。
河北門は入城は無料です。
櫓と違って門は潜ってしまうと通り過ぎてしまうこともあるでしょうが、導線として兼六園をみて石川門から入る人はそのまま五十間櫓に行ってしまうので、お城好き以外の人はなかなか足を運ばないようです。
菱櫓から見た河北門です。
枡形の土塀越しです。
枡形内から見た河北門の櫓門です。
大きな門です。
二の門にある石落しです。
装飾性があり、きれいです。
二の門です。
高さ12.3メートル、幅26.9メートル、奥行き8.2メートルの規模です。
平成22年に復元されました。
枡形門です。
河北門は、石川門、橋爪門とともに金沢城三御門のひとつです。
城内から見た河北門です。
左奥は五十間長屋です。
河北門の一の門です。
右奥は菱櫓です。
河北門も中に入ることが出来ます。
河北門の内部です。
こちらも天井がないため梁などがよく見えます。
金沢城は北陸新幹線の開通の影響で平日にも関わらず賑わっていましたが、河北門はお客さんは少なかったです。
河北門は入城は無料です。
櫓と違って門は潜ってしまうと通り過ぎてしまうこともあるでしょうが、導線として兼六園をみて石川門から入る人はそのまま五十間櫓に行ってしまうので、お城好き以外の人はなかなか足を運ばないようです。
菱櫓から見た河北門です。
枡形の土塀越しです。
枡形内から見た河北門の櫓門です。
大きな門です。
二の門にある石落しです。
装飾性があり、きれいです。
二の門です。
高さ12.3メートル、幅26.9メートル、奥行き8.2メートルの規模です。
金沢城五十間長屋・菱櫓 [お城復元]
平成13年に復元された五十間長屋です。
長屋といいますが、多聞櫓です。
通常の多聞櫓は一重ですが、金沢城は流石加賀100万石の城だけあって二重の多聞櫓です。
五十間なので、約90メートルもの長さです。
菱櫓です。
多聞櫓の隅に建てられています。
三重櫓です。
平面が四角でなくて菱形なので菱櫓と呼ばれています。
五十間櫓の規模に圧倒されます。
これほどの規模の多聞櫓は他の城ではありません。
橋爪門続櫓と橋爪門一の門です。
二の丸御殿に続く格式の高い門でした。
二の丸から見た五十間長屋です。
五十間長屋は中に入れます。
五十間長屋の内部です。
二階部分です。
天井はなく太い梁が見れます。
菱櫓の内部です。
三階部分です。
菱櫓の一階です。
床下が透明で見えるようになっています。
菱櫓は形が菱形なので、柱もそれに合わせて菱形に作られています。
菱櫓の石落しです。
ここから石を落としたり、鉄砲で撃ったりしました。
今年復元された橋爪門の内部です。
五十間長屋とつながっています。
しかし、床面に高低差があるので階段になっています。
本来同時期に作られたのではなかったかもしれません。
橋爪門の内部です。
天井はなく、梁などが見えます。
続櫓から見た橋爪門枡形です。
続櫓から見た鶴の丸土塀と出狭間。
遠くに見えるのが石川門です。
長屋といいますが、多聞櫓です。
通常の多聞櫓は一重ですが、金沢城は流石加賀100万石の城だけあって二重の多聞櫓です。
五十間なので、約90メートルもの長さです。
菱櫓です。
多聞櫓の隅に建てられています。
三重櫓です。
平面が四角でなくて菱形なので菱櫓と呼ばれています。
五十間櫓の規模に圧倒されます。
これほどの規模の多聞櫓は他の城ではありません。
橋爪門続櫓と橋爪門一の門です。
二の丸御殿に続く格式の高い門でした。
二の丸から見た五十間長屋です。
五十間長屋は中に入れます。
五十間長屋の内部です。
二階部分です。
天井はなく太い梁が見れます。
菱櫓の内部です。
三階部分です。
菱櫓の一階です。
床下が透明で見えるようになっています。
菱櫓は形が菱形なので、柱もそれに合わせて菱形に作られています。
菱櫓の石落しです。
ここから石を落としたり、鉄砲で撃ったりしました。
今年復元された橋爪門の内部です。
五十間長屋とつながっています。
しかし、床面に高低差があるので階段になっています。
本来同時期に作られたのではなかったかもしれません。
橋爪門の内部です。
天井はなく、梁などが見えます。
続櫓から見た橋爪門枡形です。
続櫓から見た鶴の丸土塀と出狭間。
遠くに見えるのが石川門です。
金沢城橋爪門 [お城復元]
金沢に行ったのは、金沢城橋爪門を見る為です。
橋爪門です。
右は橋爪門続櫓です。
続櫓は三重櫓です。
橋爪門は北陸新幹線の開業に合わせて復元されました。
3月7日にオープンしたばかりです。
橋爪門続櫓は平成13年に復元されたものです。
内部でつながっているのに、どうして一緒に復元しなかったのかと思います。
別のアングルで。
左は出狭間です。
城内から見た橋爪門と出狭間です。
内側から見た橋爪門です。
橋爪門は枡形門でした。
一の門です。
この左に橋爪門があります。
門の柱です。
鉄で覆われていて頑丈です。
門の上を見上げたところです。
門には石落しはありません。
門の内部から櫓門に登れるようになっています。
模擬的に復元されているので、実際には登れません。
金沢城の復元は古写真や発掘調査に基づき、かなり正確な復元を行っています。
橋爪門付近の絵図です。
橋爪門は枡形でしたが、実は内にもう一つ枡形がありました。
二重枡形となり、橋爪門を出ると右に折れて階段を登り二の丸御殿に入るようになっていました。
しかし、今回はそこは復元されませんでした。
そこを復元すると二の丸に車が入れなくなるでしょうし、本丸に直接入れなくなるなど、管理上の理由からでしょうが、将来的に本来の形に復元されるといいですね。
橋爪門です。
右は橋爪門続櫓です。
続櫓は三重櫓です。
橋爪門は北陸新幹線の開業に合わせて復元されました。
3月7日にオープンしたばかりです。
橋爪門続櫓は平成13年に復元されたものです。
内部でつながっているのに、どうして一緒に復元しなかったのかと思います。
別のアングルで。
左は出狭間です。
城内から見た橋爪門と出狭間です。
内側から見た橋爪門です。
橋爪門は枡形門でした。
一の門です。
この左に橋爪門があります。
門の柱です。
鉄で覆われていて頑丈です。
門の上を見上げたところです。
門には石落しはありません。
門の内部から櫓門に登れるようになっています。
模擬的に復元されているので、実際には登れません。
金沢城の復元は古写真や発掘調査に基づき、かなり正確な復元を行っています。
橋爪門付近の絵図です。
橋爪門は枡形でしたが、実は内にもう一つ枡形がありました。
二重枡形となり、橋爪門を出ると右に折れて階段を登り二の丸御殿に入るようになっていました。
しかし、今回はそこは復元されませんでした。
そこを復元すると二の丸に車が入れなくなるでしょうし、本丸に直接入れなくなるなど、管理上の理由からでしょうが、将来的に本来の形に復元されるといいですね。