川越城本丸御殿 その1 [御殿]
埼玉県の川越城は御殿が残る数少ない城の一つです。
川越城の本丸御殿は老朽化のため平成20年10月20日から23年2月18日までの2年半の工期で保存修理がされました。
この度修理が終わり公開されたので見学に行きました。
御殿の玄関です。
大きな車寄せが特徴です。
屋根のアップです。
見事な彫刻です。
玄関の式台です。
流石に広いです。
玄関を入ると広間がありますが、見学コースはこの広間を通らずに使者の間、家老詰所などを見学してから最後に広間を見ることになっています。
一番の見所は広間なので、おいしいところは最後にとっておくということです。
玄関の横にある櫛形塀です。
模様が美しい。
佐賀城の本丸御殿にも同じものがあります。
廊下です。
この廊下は実は場所によって材質が違うそうです。
玄関の東は高価な欅(けやき)、西側は栂(つが)、北側は松が使われています。
廊下を歩く人によって材木を使い分けていたようです。
御殿の平面図です。
大広間の隣の使者の間です。
15畳ありました。
広間の次に広い部屋です。
使番詰所です。
13畳半です。
番抜老体詰所です。
12畳です。
物頭詰所です。
ここも12畳です。
隣の部屋とほぼ同じです。
廊下から見た玄関部分です。
(続く)
川越城の本丸御殿は老朽化のため平成20年10月20日から23年2月18日までの2年半の工期で保存修理がされました。
この度修理が終わり公開されたので見学に行きました。
御殿の玄関です。
大きな車寄せが特徴です。
屋根のアップです。
見事な彫刻です。
玄関の式台です。
流石に広いです。
玄関を入ると広間がありますが、見学コースはこの広間を通らずに使者の間、家老詰所などを見学してから最後に広間を見ることになっています。
一番の見所は広間なので、おいしいところは最後にとっておくということです。
玄関の横にある櫛形塀です。
模様が美しい。
佐賀城の本丸御殿にも同じものがあります。
廊下です。
この廊下は実は場所によって材質が違うそうです。
玄関の東は高価な欅(けやき)、西側は栂(つが)、北側は松が使われています。
廊下を歩く人によって材木を使い分けていたようです。
御殿の平面図です。
大広間の隣の使者の間です。
15畳ありました。
広間の次に広い部屋です。
使番詰所です。
13畳半です。
番抜老体詰所です。
12畳です。
物頭詰所です。
ここも12畳です。
隣の部屋とほぼ同じです。
廊下から見た玄関部分です。
(続く)
掛川城二の丸御殿 その4 [御殿]
掛川城二の丸御殿の続きです。
中庭です。
中庭が2つありましたが、いずれも小規模です。
掛川城のニの丸御殿は主に二つの棟からなっていて、一つが今まで紹介してきた上の間や小書院などです。
もう一つはその並びにある棟で、藩政をつかさどる役所がありました。
吟味奉行です。
藩内の事件や訴訟、経理関係の事務をした部屋です。
畳は無く、板敷きです。
廊下です。
かなり薄暗いです。
左手に階段が見えますが、一部は二階建てとなっていました。
そのためか天井も低いです。
今は上れません。
御殿の外観です。
この奥に台所がありましたが、明治時代に撤去されました。
御殿と天守です。
御殿からみた天守です。
なかなかきれいで絵になります。
天守の下に見える塀は模擬復元で、本来は隅櫓もありましたが、法面がかなり削られているため、こういう形になったようです。
中庭です。
中庭が2つありましたが、いずれも小規模です。
掛川城のニの丸御殿は主に二つの棟からなっていて、一つが今まで紹介してきた上の間や小書院などです。
もう一つはその並びにある棟で、藩政をつかさどる役所がありました。
吟味奉行です。
藩内の事件や訴訟、経理関係の事務をした部屋です。
畳は無く、板敷きです。
廊下です。
かなり薄暗いです。
左手に階段が見えますが、一部は二階建てとなっていました。
そのためか天井も低いです。
今は上れません。
御殿の外観です。
この奥に台所がありましたが、明治時代に撤去されました。
御殿と天守です。
御殿からみた天守です。
なかなかきれいで絵になります。
天守の下に見える塀は模擬復元で、本来は隅櫓もありましたが、法面がかなり削られているため、こういう形になったようです。
掛川城二の丸御殿 その3 [御殿]
掛川城二の丸御殿のまたまた続きです。
掛川城の御殿については、質実だというご意見も頂いています。
確かにシンプルの中にもお城の御殿らしい質実さを見ることができます。
二条城の大広間です。
こういう部屋も桃山風の豪華絢爛さがあり、いいですが、掛川城の御殿は武家屋敷らしいというのでしょうか。
幕末の質素が質実剛健さがあります。
譜代の小大名の御殿らしいです。
廊下からみた次の間と上の間です。
廊下と部屋の間仕切りには、桟が切ってなくて、はじめから上の間、次の間、廊下を一体のものとして使われる予定であったことがわかります。
襖は今は真っ白ですが、当時は何らかの絵が描かれていたのではないでしょうか。
上の間の奥にある小書院です。
次の間と小書院です。
小書院の天井です。
太田家の家紋の桔梗紋と替紋の鏑矢紋がデザインされています。
上の間が藩の公式な行事に使われる部屋であるのに対して、小書院は藩主の執務室でした。
そのために天井も意匠がされています。
小書院の廊下です。
手前の部屋は長囲炉裏の間といい、藩主の居間でした。
こちらも質素です。
(続く)
掛川城の御殿については、質実だというご意見も頂いています。
確かにシンプルの中にもお城の御殿らしい質実さを見ることができます。
二条城の大広間です。
こういう部屋も桃山風の豪華絢爛さがあり、いいですが、掛川城の御殿は武家屋敷らしいというのでしょうか。
幕末の質素が質実剛健さがあります。
譜代の小大名の御殿らしいです。
廊下からみた次の間と上の間です。
廊下と部屋の間仕切りには、桟が切ってなくて、はじめから上の間、次の間、廊下を一体のものとして使われる予定であったことがわかります。
襖は今は真っ白ですが、当時は何らかの絵が描かれていたのではないでしょうか。
上の間の奥にある小書院です。
次の間と小書院です。
小書院の天井です。
太田家の家紋の桔梗紋と替紋の鏑矢紋がデザインされています。
上の間が藩の公式な行事に使われる部屋であるのに対して、小書院は藩主の執務室でした。
そのために天井も意匠がされています。
小書院の廊下です。
手前の部屋は長囲炉裏の間といい、藩主の居間でした。
こちらも質素です。
(続く)
掛川城二の丸御殿 その2 [御殿]
掛川城二の丸御殿の続きです。
広間の奥を紹介します。
広間の次の三の間です。
次の間から見た上の間です。
上の間と次の間は2間続きです。
90度折れて三の間が続きます。
廊下から見た上の間です。
上の間の正面です。
書院造りで、床の間と違い棚があります。
しかし、城郭の御殿の特徴である、帳台構えにはなっていません。
武者隠しや付書院はありません。
また、障壁画もないため、二条城などに比べると随分と質素に感じます。
掛川城の現存する御殿は、安政元年(1854)の安政の大地震で倒壊した御殿を、城主の太田氏が翌年から5年かけて再建したものです。
時は幕末で財政的にも厳しく、幕府の倹約令もあって質素な形となったのではないでしょうか。
それにしても、上の間も一段高くなく、障壁画も帳台構えもない御殿は桃山風の豪華な城郭御殿からすると質素で、これまであまり注目されてこなかった理由の一つでもあるでしょう。
欄間も彫刻ではなく、筬欄間です。
これも幕末のためでしょうか。
釘隠しです。
太田氏の家紋が意匠されています。
御殿の間取り図です。
台所などを除く往時の御殿の大部分が現存しています。
広間の奥を紹介します。
広間の次の三の間です。
次の間から見た上の間です。
上の間と次の間は2間続きです。
90度折れて三の間が続きます。
廊下から見た上の間です。
上の間の正面です。
書院造りで、床の間と違い棚があります。
しかし、城郭の御殿の特徴である、帳台構えにはなっていません。
武者隠しや付書院はありません。
また、障壁画もないため、二条城などに比べると随分と質素に感じます。
掛川城の現存する御殿は、安政元年(1854)の安政の大地震で倒壊した御殿を、城主の太田氏が翌年から5年かけて再建したものです。
時は幕末で財政的にも厳しく、幕府の倹約令もあって質素な形となったのではないでしょうか。
それにしても、上の間も一段高くなく、障壁画も帳台構えもない御殿は桃山風の豪華な城郭御殿からすると質素で、これまであまり注目されてこなかった理由の一つでもあるでしょう。
欄間も彫刻ではなく、筬欄間です。
これも幕末のためでしょうか。
釘隠しです。
太田氏の家紋が意匠されています。
御殿の間取り図です。
台所などを除く往時の御殿の大部分が現存しています。
掛川城二の丸御殿 [御殿]
掛川城二の丸御殿は江戸時代の御殿がそのまま残る数少ない貴重な城です。
御殿が残っているのは、二条城二の丸御殿、高知城本丸御殿、川越城本丸御殿と掛川城だけです。
玄関部分です。
玄関の屋根です。
玄関の屋根は千鳥破風になっているのと唐破風になっているのがありますが、掛川城は起破風です。
上向きに反り返っているものです。
玄関の式台です。
流石にお城の玄関だけあって大きいです。
玄関を入ると広間があります。
広間には大きな床の間があります。
お城の御殿の玄関は式台の正面に床の間があることが多いです。
しかし、床の間に何かものをごちゃごちゃと置きすぎで、床の間と気づきません。
花や掛け軸だけにして欲しいですね。
売っている本などの紹介までしています。
床の間は玄関の正面です。
今の和風の住宅でも、玄関を入った正面に小さな床の間がある家が多いですが、これと同じ造りです。
(続く)
御殿が残っているのは、二条城二の丸御殿、高知城本丸御殿、川越城本丸御殿と掛川城だけです。
玄関部分です。
玄関の屋根です。
玄関の屋根は千鳥破風になっているのと唐破風になっているのがありますが、掛川城は起破風です。
上向きに反り返っているものです。
玄関の式台です。
流石にお城の玄関だけあって大きいです。
玄関を入ると広間があります。
広間には大きな床の間があります。
お城の御殿の玄関は式台の正面に床の間があることが多いです。
しかし、床の間に何かものをごちゃごちゃと置きすぎで、床の間と気づきません。
花や掛け軸だけにして欲しいですね。
売っている本などの紹介までしています。
床の間は玄関の正面です。
今の和風の住宅でも、玄関を入った正面に小さな床の間がある家が多いですが、これと同じ造りです。
(続く)