名古屋城の石垣工事中 [石垣]
名古屋城の本丸の北の搦め手馬出地区などが石垣工事のため立ち入り禁止になっています。
もう実際何年も前から工事をしていて立ち入り禁止になっています。
この看板に依ると来年の3月までのようですが、まだまだ続きそうな雰囲気です。
実際、名古屋城では本丸御殿をはじめ西南隅櫓の工事などあちらこちらで工事中です。
完成した姿を見るのが楽しみです。
本丸御殿玄関の内部のイメージ図です。
もう実際何年も前から工事をしていて立ち入り禁止になっています。
この看板に依ると来年の3月までのようですが、まだまだ続きそうな雰囲気です。
実際、名古屋城では本丸御殿をはじめ西南隅櫓の工事などあちらこちらで工事中です。
完成した姿を見るのが楽しみです。
本丸御殿玄関の内部のイメージ図です。
名古屋城内にある篠島からの石材 [石垣]
名古屋城の石垣と刻紋 [石垣]
名古屋城西の丸展示館で「名古屋城の石垣と刻紋展」が開催されています。
10月半ばくらいまでの予定だそうです。
展示の様子です。
石垣に使用された石です。
砂岩・花崗岩・花崗閃緑岩です。
石垣の刻紋です。
名古屋城は天下普請といって、築城には全国の大名が手伝って作っています。
特に外様大名の財力を削るためともいわれています。
主な助役大名は
前田利常(加賀)
池田輝政(姫路)
加藤清正(熊本)
福島正則(広島)
浅野幸長(紀州)
鍋島勝茂(佐賀)
黒田長政(福岡)
田中忠政(柳川)
細川忠興(小倉)
山内忠義(土佐)
毛利秀就(長門周防)
加藤嘉明(松山)
蜂須賀至鎮(徳島)
寺澤広高(唐津)
生駒正俊(高松)
などです。
そのために工事現場が隣接していて、石を間違えないように各大名の紋などを刻印していました。
丁場割図も残っていますが、その中で
池田輝政は羽柴三左衛門
福島正則は羽柴左衛門大夫
細川忠興は羽柴越中守
と羽柴姓を名乗っています。
関が原合戦後に豊臣氏の力は衰えたと言われていますが、まだこの辺りを見るとそれなりの力はあったようですね。
因みに前田家、毛利家、山内家は松平を名乗っています。
いろいろな刻紋がありました。
木槌でしょうか。
南条?の文字です。
車輪でしょうか。
加藤肥後守と刻まれています。
中でも加藤清正は天守の石垣を単独で作っています。
さすが熊本城を築いただけあり、見事な石垣です。
刻紋は今でも石垣のあちらこちらで見ることができます。
名古屋城に行ったら、刻紋を探してみるもの楽しいですね。
10月半ばくらいまでの予定だそうです。
展示の様子です。
石垣に使用された石です。
砂岩・花崗岩・花崗閃緑岩です。
石垣の刻紋です。
名古屋城は天下普請といって、築城には全国の大名が手伝って作っています。
特に外様大名の財力を削るためともいわれています。
主な助役大名は
前田利常(加賀)
池田輝政(姫路)
加藤清正(熊本)
福島正則(広島)
浅野幸長(紀州)
鍋島勝茂(佐賀)
黒田長政(福岡)
田中忠政(柳川)
細川忠興(小倉)
山内忠義(土佐)
毛利秀就(長門周防)
加藤嘉明(松山)
蜂須賀至鎮(徳島)
寺澤広高(唐津)
生駒正俊(高松)
などです。
そのために工事現場が隣接していて、石を間違えないように各大名の紋などを刻印していました。
丁場割図も残っていますが、その中で
池田輝政は羽柴三左衛門
福島正則は羽柴左衛門大夫
細川忠興は羽柴越中守
と羽柴姓を名乗っています。
関が原合戦後に豊臣氏の力は衰えたと言われていますが、まだこの辺りを見るとそれなりの力はあったようですね。
因みに前田家、毛利家、山内家は松平を名乗っています。
いろいろな刻紋がありました。
木槌でしょうか。
南条?の文字です。
車輪でしょうか。
加藤肥後守と刻まれています。
中でも加藤清正は天守の石垣を単独で作っています。
さすが熊本城を築いただけあり、見事な石垣です。
刻紋は今でも石垣のあちらこちらで見ることができます。
名古屋城に行ったら、刻紋を探してみるもの楽しいですね。
名古屋城石垣の刻印 [石垣]
名古屋城は天下普請と言って、全国の大名が築城を手伝わされています。
その痕跡が石垣の刻印に見ることができます。
石材を間違えないために、大名家の家紋や印を石に刻んでいます。
団子のような刻印です。
こちらは升みたいです。
このような比較的小さな石にまで彫られています。
名古屋城に行ったら、石垣の刻印を探してみるのも面白いと思います。
いろいろな形がありますよ。
この刻印は御園御門付近のものですが、本丸の内側の石垣にもたくさんあるので、見つけやすいと思います。
名古屋城叢書(名古屋城振興協会)から『名古屋城石垣の刻紋』 高田祐吉著が刊行されています。
刻印に就いて詳しく紹介されていますので、参考になります。
その痕跡が石垣の刻印に見ることができます。
石材を間違えないために、大名家の家紋や印を石に刻んでいます。
団子のような刻印です。
こちらは升みたいです。
このような比較的小さな石にまで彫られています。
名古屋城に行ったら、石垣の刻印を探してみるのも面白いと思います。
いろいろな形がありますよ。
この刻印は御園御門付近のものですが、本丸の内側の石垣にもたくさんあるので、見つけやすいと思います。
名古屋城叢書(名古屋城振興協会)から『名古屋城石垣の刻紋』 高田祐吉著が刊行されています。
刻印に就いて詳しく紹介されていますので、参考になります。
名古屋城築城の石垣採石地(愛知県蒲郡市西浦町) [石垣]
名古屋城築城の際に各地の山から石垣の石が切り出されています。
蒲郡市西浦町の海岸にもその採石地があります。
地元では、このような立派な看板が建てられています。
福島正則の家紋が入った石が切り出されている事から、福嶋正則の採石地とされています。
海岸にある岩が切り出されたのは、そのまま舟に乗せて運ぶのに都合がよかったためです。
海岸の岩にはたくさんの矢穴が開けられています。
矢穴はノミで岩に穴を開けて、岩を割るための跡です。
このように岩がたくさんあります。
家紋入りの岩です。
築城の現場で、どの大名の石か分からなくなってしまうので、目印として石に家紋などのマークを彫りました。
波で削られて薄くなってしまい、わかりにくいです。
看板には写真入で、どの岩に家紋が入っているか示していますが、どれも似た岩で、写真のどの岩が該当するか探すのは大変です。
ちょっとした宝探しの気分です。
この付近には、他にも池田輝政や加藤清正、毛利秀就の石切り場もありました。
石を探してみるのも楽しいです。
探し当てるのは大変ですが・・。
蒲郡市西浦町の海岸にもその採石地があります。
地元では、このような立派な看板が建てられています。
福島正則の家紋が入った石が切り出されている事から、福嶋正則の採石地とされています。
海岸にある岩が切り出されたのは、そのまま舟に乗せて運ぶのに都合がよかったためです。
海岸の岩にはたくさんの矢穴が開けられています。
矢穴はノミで岩に穴を開けて、岩を割るための跡です。
このように岩がたくさんあります。
家紋入りの岩です。
築城の現場で、どの大名の石か分からなくなってしまうので、目印として石に家紋などのマークを彫りました。
波で削られて薄くなってしまい、わかりにくいです。
看板には写真入で、どの岩に家紋が入っているか示していますが、どれも似た岩で、写真のどの岩が該当するか探すのは大変です。
ちょっとした宝探しの気分です。
この付近には、他にも池田輝政や加藤清正、毛利秀就の石切り場もありました。
石を探してみるのも楽しいです。
探し当てるのは大変ですが・・。