慈光寺 [寺院]

慈光寺は愛知県南知多町内海にある寺院です。

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山門です。

立派な楼門です。

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本堂です。

新四国八十八ケ所霊場のひとつです。

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境内にある「あごなし地蔵」です。

確かに削られてあごがありません。

あごというより頭も・・。

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あごなし地蔵の説明です。

隠岐に流れ着いた遣唐副使の小野タカムラが美女阿古奈との別れの情に耐えかねて彫った像が後に祀られてあごなし地蔵となりました。

嘉永3年内海の船主内田佐七家の三代目の実父豊吉が北前交易の途中風待ちのため隠岐に滞在中にこの話を聞いて参詣して分身を請けて慈光寺に安置しました。

あごなし地蔵はあごなおし地蔵ともいい、歯痛に霊験があり、歯痛止めの地蔵といわれます。

書写山円教寺 その2 [寺院]

円教寺の続きです。

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食堂です。

しょくどうではなく、じきどうと読みます。

本来は、修行僧の寝食のための建物です。

承安四年(1174)の創建です。

二階建てで、長さ約40メートルもの大きな建物です。

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二階内部です。

2階が寺宝の展示館となっています。

1階は写経道場に利用されています。

こんな静かなところで写経をしてみたいです。

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本尊は、僧形文殊菩薩で後白河法皇の勅願で創建です。

食堂は、未完成のまま、数百年放置されていましたが、昭和38年の解体修理で完成しました。

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開山堂です。

圓教寺開山の性空上人をまつる堂です。

書寫山一千年の歴史のシンボルとして灯明が燃え続け朝夕欠かさず勤行がおこなわれている圓教寺奥之院の中核です。

現在の建物は、江戸初期の開山堂建築の代表作です。

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護法堂拝殿です。

後ろは懸造りになっています。

桃山時代の建築物で別名「弁慶の学問所」で知られています。

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摩尼殿です。

マニとは梵語の如意のことです。

天禄元年(970)創建です。

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円教寺を代表する建物です。

この堂の創建前、天人が桜樹を礼拝するのを見て、上人が根のあるままの生木に観音像を刻まれました。

そのために岩山の中腹に舞台造りの建物となっています。

このように円教寺には大きな古い建物が多く残ってます。

そのためにロケでも多く使われています。

最近では、NHKの軍師官兵衛、ラストサムライなどです。

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円教寺は非常に高い山上にあるためにロープウェイで登ります。

まだ軍師官兵衛が健在です。

山上駅から摩尼殿まででもかなりの距離のためバスが運行しています。

西の叡山といわれるだけあって本当に広大な境内です。

(終)


書写山円教寺 [寺院]

書写山円教寺は、姫路市の北西、標高370メートルの書写山にあります。

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境内図です。

西の叡山と言われるだけあって境内とても広いです。

天台宗の修行道場です。

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大講堂です。

圓教寺の本堂に相当するお堂で、お経の講義や論議が行われる学問と修行の場です。

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本多家廟屋です。

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姫路城主の本多氏の墓です。

廟屋五棟があります。

とても珍しいものです。

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廟屋の中にある五輪塔です。

立派なものです。

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常行堂です。

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正面から見た常行堂です。

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舞台です。

常行堂は、常行三昧(ひたすら阿弥陀仏の名を唱えながら本尊を回る修行)をするための道場です。

建物の構成は、方五間の大規模な東向きの常行堂とそれに北接する長さ十間の細長い建物が楽屋、その中央に張り出した舞台とからなり立っています。

(続く)


複雑な形をした建物です。

本証寺 [寺院]

本証寺は愛知県安城市野寺町にあります。

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山門です。

浄土真宗の本寺です。

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城郭伽藍として有名です。

お城のように堀と石垣、櫓があります。

昨年国指定史跡となりました。

三河一向一揆のときに徳川家康と戦い、家康を苦しめたお寺です。

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お城の櫓みたいに見えますが、太鼓楼と呼ばれています。

二階部分に太鼓が置かれています。

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堀です。

堀は二重にめぐらされていました。

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外堀の一部です。

水堀で今は蓮池になっています。

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寺の北に残る外堀です。

こちらは空堀です。

内堀の正面は石垣が積まれていますが、他は石垣はなく、北や西は空堀でした。

このあたりの堀はまさにお城って感じです。


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三河一向一揆の後は寺院は破却されて、野原になりました。

和睦の条件として家康は寺は元のままにすると約束しました。
しかし、戦いが終わると家康は元のままというのは、もともとは野原だったので、寺を壊せと厳命して破壊してしまいます。
大阪冬の陣みたいですね。

その後、江戸時代になると再興を許されてお寺を再建されました。
そのときに再び戦国時代のような堀を掘りなおしたようです。

今、安城市歴史博物館で本証寺展を開催しています。
合わせて見学するといいでしょう。


禅憧寺 [寺院]

竹中氏の菩提寺です。

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竹中氏陣屋の近くにあり、大きな寺院です。

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竹中半兵衛の大きな旗がありました。

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その隣りには竹中半兵衛と黒田官兵衛の二兵衛が。

昨年度の大河ドラマの影響ですね。

実際に、この近くに半兵衛が官兵衛の子長政をかくまったといわれる場所もあります。

信長に謀反を起した荒木村重を説得するために有岡城に乗り込んだ黒田官兵衛は、村重に捕らえられて城内の土牢に幽閉されます。
有岡城から戻らない官兵衛を信長は裏切って村重に付いたと思い、秀吉に人質の官兵衛の子(長政)を殺せと命じます。
秀吉の軍師の半兵衛はひそかに長政をかくまったといわれます。
後に疑いの晴れた官兵衛は半兵衛に感謝しました。

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説明です。

明応3年(1494)に建てられました。
曹洞宗の寺院です。

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竹中半兵衛重治の墓です。

墓が家型の伏せ屋に覆われています。

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長原武の墓です。

吉田松陰の友人だそうです。

山鹿素水の塾で、佐久間象山、吉田松陰、小林虎三郎と学んだそうです。

大河ドラマ花燃ゆの影響でしょうか。


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