二村山(愛知県豊明市) [歴史雑話]
二村山は愛知県豊明市にある山です。
豊明市の最高地点で標高71.8メートルです。
二村山には峠があります。
峠にある地蔵堂です。
中に三体の地蔵様が祭られています。
その中の一体が身代わり地蔵像です。
首がありません。
この地蔵には以下の伝説があります。
平安時代末期頃に二村山を本拠としていた熊坂長範という山賊がいて、旅人を襲っていました。
ある夜一刀両断に斬り殺した旅人の身代わりに地蔵がなったというのです。
確かに刀で切ったように首がなくなっています。
地蔵の背面には「大同二」(807年)という年号が刻まれています。
こちらは切られ地蔵です。
刀で切られたように真っ二つになっています。
同じような地蔵様が二つあるのは珍しい。
説明です。
胴体が切られたように斜めに別々になっています。
別名「袈裟切り地蔵」ともいわれます。
江戸時代に伝説を元に身代わり地蔵として建てられましたが、元文5年(1740年)に落雷によって本当に二つに分かれてしまったそうです。
なんともびっくりする話です。
この山は古くから景勝の地でした。
二村山勝地との碑が建てられています。
かつてはこの二村山の峠を鎌倉街道が通っていました。
源頼朝もこの道を通りました。
頼朝がこを通ったときに詠んだ歌です。
よそに見し小笹のうえの白露をたもとにかくる二むらの山
景勝地だけに、他にも、西行、藤原俊成、飛鳥井雅経、九条基家、大江匡房など多くの歌人が歌をここで詠んでいます。
今でも山中にかつての鎌倉街道が残っています。
豊明市の最高地点で標高71.8メートルです。
二村山には峠があります。
峠にある地蔵堂です。
中に三体の地蔵様が祭られています。
その中の一体が身代わり地蔵像です。
首がありません。
この地蔵には以下の伝説があります。
平安時代末期頃に二村山を本拠としていた熊坂長範という山賊がいて、旅人を襲っていました。
ある夜一刀両断に斬り殺した旅人の身代わりに地蔵がなったというのです。
確かに刀で切ったように首がなくなっています。
地蔵の背面には「大同二」(807年)という年号が刻まれています。
こちらは切られ地蔵です。
刀で切られたように真っ二つになっています。
同じような地蔵様が二つあるのは珍しい。
説明です。
胴体が切られたように斜めに別々になっています。
別名「袈裟切り地蔵」ともいわれます。
江戸時代に伝説を元に身代わり地蔵として建てられましたが、元文5年(1740年)に落雷によって本当に二つに分かれてしまったそうです。
なんともびっくりする話です。
この山は古くから景勝の地でした。
二村山勝地との碑が建てられています。
かつてはこの二村山の峠を鎌倉街道が通っていました。
源頼朝もこの道を通りました。
頼朝がこを通ったときに詠んだ歌です。
よそに見し小笹のうえの白露をたもとにかくる二むらの山
景勝地だけに、他にも、西行、藤原俊成、飛鳥井雅経、九条基家、大江匡房など多くの歌人が歌をここで詠んでいます。
今でも山中にかつての鎌倉街道が残っています。
2015-04-20 00:03
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コメント(3)
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拙ブログへのコメントありがとうございます。
山形城の本丸は昨日の記事で紹介しましたが、
門と石垣以外に見るものはありませんでした。
by johncomeback (2015-04-20 05:52)
由緒ある峠。
薄暗くて雰囲気あり。
by 夏炉冬扇 (2015-04-20 08:03)
807年とはずいぶんと古いお地蔵様ですね。
by 川崎工場長 (2015-04-20 17:56)