安城城@愛知県安城市 [お城踏査]
安城城は愛知県安城市安城町にあった中世城郭です。
城跡は大乗寺(了雲院)というお寺が建っています。
お寺の楼門が城門みたいに見えてかっこいいです。
安城城はかつては安祥城と呼ばれていました。
石碑にも安祥城と書かれています。
ここは徳川家康の先祖の松平信光から家康の祖父の松平清康間でが居城としていました。
そのために江戸時代に縁起の良い「祥」の字を使い、安祥城と呼ぶようになったようです。
同時代の史料には安城とあります。
なんともいい雰囲気です。
楼門と土塀が城跡を感じさせます。
楼門の彫刻です。
安城城は尾張と三河の国境近くにあるために、戦国時代はこの城を巡って何度も何度も織田氏と今川氏の戦いがありました。
本多忠高の碑です。
天文18年(1549)3月、家康の父、松平広忠が暗殺されたのを機に今川氏は安城城奪回のため攻めました。
先鋒の本多忠高は、安城城代織田信広(信長の兄)を本丸近くまで追いつめますが、敵の矢に当たり討死にしたといわれています。
この碑は忠高が戦死した場所に江戸時代の寛政9年(1797)に子孫である岡崎藩主本多忠顕により、建てられました。
亀の上に載っています。
本多忠高は徳川四天王の一人本多忠勝の父親です。
城跡は大乗寺(了雲院)というお寺が建っています。
お寺の楼門が城門みたいに見えてかっこいいです。
安城城はかつては安祥城と呼ばれていました。
石碑にも安祥城と書かれています。
ここは徳川家康の先祖の松平信光から家康の祖父の松平清康間でが居城としていました。
そのために江戸時代に縁起の良い「祥」の字を使い、安祥城と呼ぶようになったようです。
同時代の史料には安城とあります。
なんともいい雰囲気です。
楼門と土塀が城跡を感じさせます。
楼門の彫刻です。
安城城は尾張と三河の国境近くにあるために、戦国時代はこの城を巡って何度も何度も織田氏と今川氏の戦いがありました。
本多忠高の碑です。
天文18年(1549)3月、家康の父、松平広忠が暗殺されたのを機に今川氏は安城城奪回のため攻めました。
先鋒の本多忠高は、安城城代織田信広(信長の兄)を本丸近くまで追いつめますが、敵の矢に当たり討死にしたといわれています。
この碑は忠高が戦死した場所に江戸時代の寛政9年(1797)に子孫である岡崎藩主本多忠顕により、建てられました。
亀の上に載っています。
本多忠高は徳川四天王の一人本多忠勝の父親です。
2014-01-20 22:41
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コメント(4)
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本当〜いい雰囲気ですね。
by pandan (2014-01-21 05:44)
歴史あり、ですね。
家康の父の暗殺は知りませんでした。
後世語られているように、家康は本当に苦労していたんでしょうね。
by tsun (2014-01-21 14:37)
お早うございます。
彫刻は龍ですね。
by 夏炉冬扇 (2014-01-22 09:13)
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by cabelas (2020-06-06 18:47)