駿府城坤櫓が完成 [お城復元]
以前より復元工事を進めていた静岡市の駿府城坤櫓がほぼ完成しました。
坤櫓は「ひつじざる」と読みます。
南西の方角を指します。
南から見たところです。
駿府城坤櫓は七間四方(約12.6メートル)、高さ七間(12.6メートル)です。
二重三階の隅櫓です。
城壁がまぶしいです。
総工費6億3千万円です。
大きな出窓が特徴です。
二重三階と言い、出窓といい
名古屋城の本丸の隅櫓に似ています。
今はふさがれてしまった二の丸の升形門の石垣も修復していました。
内側から見たところです。
まだ一部工事中でした。
破風がないため、なんかずんぐりして不恰好です。
縦と横が同じ比率のためでしょうか。
4月からはオープンの予定です。
公園の完成予想図です。
駿府城公園の将来予想図です。
天守台までは復元するみたいです。
坤櫓は左下です。
赤いところが坤櫓です。
本丸虎口付近の予想図です。
坤櫓は「ひつじざる」と読みます。
南西の方角を指します。
南から見たところです。
駿府城坤櫓は七間四方(約12.6メートル)、高さ七間(12.6メートル)です。
二重三階の隅櫓です。
城壁がまぶしいです。
総工費6億3千万円です。
大きな出窓が特徴です。
二重三階と言い、出窓といい
名古屋城の本丸の隅櫓に似ています。
今はふさがれてしまった二の丸の升形門の石垣も修復していました。
内側から見たところです。
まだ一部工事中でした。
破風がないため、なんかずんぐりして不恰好です。
縦と横が同じ比率のためでしょうか。
4月からはオープンの予定です。
公園の完成予想図です。
駿府城公園の将来予想図です。
天守台までは復元するみたいです。
坤櫓は左下です。
赤いところが坤櫓です。
本丸虎口付近の予想図です。
西尾城二の丸天守台復元工事完了 その2 [お城復元]
今回の天守台復元工事では、天守台の他に二の丸丑寅櫓台と土塁も復元されました。
天守台からみた土塁です。
向こうは丑寅櫓です。
丑寅櫓台です。
丑寅とは北東の方角を指す言葉で、本丸の三重櫓も丑寅櫓です。
西尾城には5つの丑寅櫓がありました。
天守の復元は難しいでしょうが、丑寅櫓ならば復元は可能ではないでしょうか。
岡崎城の東丸隅櫓は二重櫓ですが、約1億万円で復元しました。
櫓台があるので建物だけならば8,000万円ほどで出来るのではないでしょうか。
同じく櫓台です。
丑寅櫓の規模は西尾城郭覚書によると、
丑寅櫓
高 ニ丈七尺五寸
但シ棟木ヨリ石口マテ
櫓下土手高 九間
石垣高 七間四尺
土間 東西 三間
南北 四間
一重 東西 三間
南北 四間
二重 東西 ニ間半
南北 ニ間
と三間×四間と本丸に復元されている三重櫓よりすこし大きい程度でした。
二の丸居城之図です。
左下が丑寅櫓、右下が天守です。
正保絵図の西尾城本丸と二の丸です。
左が本丸、右が二の丸です。
櫓が乱立する様子がわかります。
二の丸には発掘調査で見つかった江戸時代の井戸を小石で表しています。
よく見ないと井戸と気付きません。
二の丸の鍮石門の北にわずかに土塁が復元されました。
本当は鍮石門と二の丸丑寅櫓の間には土塁があり、その土塁も復元する計画もあったようですが、一部のみの復元になりました。
本来はここに土塁があったことを示すために土塁の一部を復元しました。
二の丸の案内図です。
二の丸広場です。
奥は天守台です。
広場はイベントができるように芝生になっています。
南から見た天守台です。
天守台からみた土塁です。
向こうは丑寅櫓です。
丑寅櫓台です。
丑寅とは北東の方角を指す言葉で、本丸の三重櫓も丑寅櫓です。
西尾城には5つの丑寅櫓がありました。
天守の復元は難しいでしょうが、丑寅櫓ならば復元は可能ではないでしょうか。
岡崎城の東丸隅櫓は二重櫓ですが、約1億万円で復元しました。
櫓台があるので建物だけならば8,000万円ほどで出来るのではないでしょうか。
同じく櫓台です。
丑寅櫓の規模は西尾城郭覚書によると、
丑寅櫓
高 ニ丈七尺五寸
但シ棟木ヨリ石口マテ
櫓下土手高 九間
石垣高 七間四尺
土間 東西 三間
南北 四間
一重 東西 三間
南北 四間
二重 東西 ニ間半
南北 ニ間
と三間×四間と本丸に復元されている三重櫓よりすこし大きい程度でした。
二の丸居城之図です。
左下が丑寅櫓、右下が天守です。
正保絵図の西尾城本丸と二の丸です。
左が本丸、右が二の丸です。
櫓が乱立する様子がわかります。
二の丸には発掘調査で見つかった江戸時代の井戸を小石で表しています。
よく見ないと井戸と気付きません。
二の丸の鍮石門の北にわずかに土塁が復元されました。
本当は鍮石門と二の丸丑寅櫓の間には土塁があり、その土塁も復元する計画もあったようですが、一部のみの復元になりました。
本来はここに土塁があったことを示すために土塁の一部を復元しました。
二の丸の案内図です。
二の丸広場です。
奥は天守台です。
広場はイベントができるように芝生になっています。
南から見た天守台です。
西尾城二の丸天守台復元工事完了 その1 [お城復元]
西尾城の二の丸天守台が復元されました。
西尾城は愛知県西尾市にあります。
3月18日にオープンしました。
天守台の石垣だけです。
上の天守はありません。
昔天守台跡に建っていた石碑が久しぶりに復活しました。
名古屋城の石垣にも使われている地元の幡豆石が使われました。
天守台の工事のときに見つかった石垣の石が再利用されています。
長岡城みたいです。
南から見た天守台です。
高さは6mです。
天守台は東西9間、南北7間です。
16×13mです。
上に登るとその大きさが実感できます。
説明板です。
その中の正保城絵図の中の西尾城天守です。
この天守台の上に三重の天守が建てられていました。
正保絵図によると下見板張の天守でした。
絵の表現の仕方にもよりますが、層塔型のように見えます。
天守台は南と西に付櫓がありました。
絵図では多聞とされています。
複合式天守です。
岡崎城の天守とこのあたりは似ています。
天守台から見た本丸丑寅櫓と鍮石門です。
(続く)
西尾城は愛知県西尾市にあります。
3月18日にオープンしました。
天守台の石垣だけです。
上の天守はありません。
昔天守台跡に建っていた石碑が久しぶりに復活しました。
名古屋城の石垣にも使われている地元の幡豆石が使われました。
天守台の工事のときに見つかった石垣の石が再利用されています。
長岡城みたいです。
南から見た天守台です。
高さは6mです。
天守台は東西9間、南北7間です。
16×13mです。
上に登るとその大きさが実感できます。
説明板です。
その中の正保城絵図の中の西尾城天守です。
この天守台の上に三重の天守が建てられていました。
正保絵図によると下見板張の天守でした。
絵の表現の仕方にもよりますが、層塔型のように見えます。
天守台は南と西に付櫓がありました。
絵図では多聞とされています。
複合式天守です。
岡崎城の天守とこのあたりは似ています。
天守台から見た本丸丑寅櫓と鍮石門です。
(続く)
松本城外堀復元事業が本格化へ [お城復元]
松本城外堀復元事業が動き始めました。
読売新聞の12月19日付けの記事によると、
松本市の市議会が18日、用地取得予算案などを可決。
市は「復元にとって大きな一歩。
今後も住民の理解を得ながら計画を進めていきたい」(城下町整備本部)としている。
復元されるのは、松本城公園に接する「南・西外堀」で総面積は0・92ヘクタール。
大正時代から昭和初期にかけて埋め立てられ、今は住宅や店舗約80戸が立つ。
市は総事業費44億円をかけて2020年頃をめどに江戸時代の姿を再現する計画だ。
0・72ヘクタール分については今年3月、国史跡の指定を受けており、工事については国の補助も受けられることになった。
今回は、このうちの0・11ヘクタール分が用地取得の対象となっている。
江戸時代以前の天守閣が現存する全国12の城の中で唯一平地に築かれた松本城は、松本駅から徒歩15分。
「気軽に歩いて行ける城」として人気があり、昨年度は70万人以上が訪れた。
市松本城管理事務所の土屋彰司所長(59)は「城の構造や歴史を知る上で重要な場所。
幕末期の様子を復元できれば、さらに魅力が増し、観光客も増える」と事業に期待を寄せている。
こちらが完成後の予想図です。
予算が可決したということは、0.11ヘクタール分は既に用地買収の目処が立っているということでしょうね。
西・南外堀が復元されると随分と城としての景観が変わるでしょう。
堀の復元は、大坂城、中津城、松代城などでも行なわれていますが、
現在人が住んでいる家を移転してまでの堀の復元事業は例がないので、かなり大変でしょうが、成果に期待したいものです。
100年後にはやって良かったと思える事業であってほしいですね。
ところで、松本城は二の丸の東北隅櫓の復元する計画があったようですが、凍結なのかな。
松本城の天守です。
国宝です。
黒壁が美しい城です。
読売新聞の12月19日付けの記事によると、
松本市の市議会が18日、用地取得予算案などを可決。
市は「復元にとって大きな一歩。
今後も住民の理解を得ながら計画を進めていきたい」(城下町整備本部)としている。
復元されるのは、松本城公園に接する「南・西外堀」で総面積は0・92ヘクタール。
大正時代から昭和初期にかけて埋め立てられ、今は住宅や店舗約80戸が立つ。
市は総事業費44億円をかけて2020年頃をめどに江戸時代の姿を再現する計画だ。
0・72ヘクタール分については今年3月、国史跡の指定を受けており、工事については国の補助も受けられることになった。
今回は、このうちの0・11ヘクタール分が用地取得の対象となっている。
江戸時代以前の天守閣が現存する全国12の城の中で唯一平地に築かれた松本城は、松本駅から徒歩15分。
「気軽に歩いて行ける城」として人気があり、昨年度は70万人以上が訪れた。
市松本城管理事務所の土屋彰司所長(59)は「城の構造や歴史を知る上で重要な場所。
幕末期の様子を復元できれば、さらに魅力が増し、観光客も増える」と事業に期待を寄せている。
こちらが完成後の予想図です。
予算が可決したということは、0.11ヘクタール分は既に用地買収の目処が立っているということでしょうね。
西・南外堀が復元されると随分と城としての景観が変わるでしょう。
堀の復元は、大坂城、中津城、松代城などでも行なわれていますが、
現在人が住んでいる家を移転してまでの堀の復元事業は例がないので、かなり大変でしょうが、成果に期待したいものです。
100年後にはやって良かったと思える事業であってほしいですね。
ところで、松本城は二の丸の東北隅櫓の復元する計画があったようですが、凍結なのかな。
松本城の天守です。
国宝です。
黒壁が美しい城です。