近江小谷城に再チャレンジ その5 [お城踏査]
小谷城本丸より月所丸を経由して大嶽丸に登り、福寿丸、山崎丸を見ながら下山しました。
全行程約4時間でした。
途中であちこち寄りながらですので、かなり疲れました。
山は下山も体力使いますね。
膝ががくがくになりました。
再び山麓から見た小谷城です。
正面が大嶽丸、右手が本丸、左手が福寿丸がある尾根です。
本丸と福寿丸の尾根の間の谷は清水谷です。
この谷の奥に浅井氏の山麓の御屋敷がありました。
清水谷から小谷城に登る道の一つ虎ケ谷道です。
ここから番所跡に通じています。
周囲には曲輪跡が残っています。
清水谷には浅井氏の御屋敷の他に家臣の屋敷もたくさん建てられていました。
写真は遠藤屋敷跡です。
遠藤氏は浅井氏の重臣です。
遠藤直経は姉川の合戦の時には、信長の首を狙って討ち取った首を持参して織田軍の家臣の振りをして単身信長の本陣まで乗り込みましたが、信長の家臣の竹中久作が遠藤直経の顔を知っていたために、ばれてしまい討ち取られました。
屋敷跡はほとんど痕跡が残らず、かすかに土塁の跡らしいものがある程度です。
かつては、屋敷の痕跡があったそうです。
でも残念ながら圃場整備によりこの辺りはかなり地形が変ってしまい、石碑が残るだけです。
この地区を発掘調査して戦国期の城下町が埋まっていたでしょうに惜しいことをしました。
一条谷朝倉氏遺跡のように整備したら他に類例のない山上の山城と麓の城下町が残る稀有な史跡になったことでしょう。
(終わり)
全行程約4時間でした。
途中であちこち寄りながらですので、かなり疲れました。
山は下山も体力使いますね。
膝ががくがくになりました。
再び山麓から見た小谷城です。
正面が大嶽丸、右手が本丸、左手が福寿丸がある尾根です。
本丸と福寿丸の尾根の間の谷は清水谷です。
この谷の奥に浅井氏の山麓の御屋敷がありました。
清水谷から小谷城に登る道の一つ虎ケ谷道です。
ここから番所跡に通じています。
周囲には曲輪跡が残っています。
清水谷には浅井氏の御屋敷の他に家臣の屋敷もたくさん建てられていました。
写真は遠藤屋敷跡です。
遠藤氏は浅井氏の重臣です。
遠藤直経は姉川の合戦の時には、信長の首を狙って討ち取った首を持参して織田軍の家臣の振りをして単身信長の本陣まで乗り込みましたが、信長の家臣の竹中久作が遠藤直経の顔を知っていたために、ばれてしまい討ち取られました。
屋敷跡はほとんど痕跡が残らず、かすかに土塁の跡らしいものがある程度です。
かつては、屋敷の痕跡があったそうです。
でも残念ながら圃場整備によりこの辺りはかなり地形が変ってしまい、石碑が残るだけです。
この地区を発掘調査して戦国期の城下町が埋まっていたでしょうに惜しいことをしました。
一条谷朝倉氏遺跡のように整備したら他に類例のない山上の山城と麓の城下町が残る稀有な史跡になったことでしょう。
(終わり)
2011-06-19 13:01
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コメント(7)
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登りよりも下りの方が膝に来ますよね^^
by kuwachan (2011-06-20 00:15)
圃場整備による遺跡の破壊は多いように思います。特に城館址は発掘調査さへされずに消えて行くのは残念です。なによりも景観が変わってしまうので困ります。何処に遺跡があったのかさえ分からなくなってしまったり。
by nekodarake (2011-06-20 00:25)
山は登りよりも下りの方が筋肉使いますよね、
私なら体力ないから、3日くらい回復までかかりそう〜
by pandan (2011-06-20 06:11)
こんにちは。
遠藤直経 さんは、考えましたね!
顔が広いのも考えものだったのですね(笑)
by musselwhite (2011-06-20 11:55)
山城巡りも結構体力が要りそうですね。
歴史のある城後は面白いですね。
by 海を渡る (2011-06-20 14:28)
たしかに。
惜しいことをしましたね。
下から見ると、広く大きな城だったのですね。
by ナツパパ (2011-06-20 18:49)
お疲れさまです。4時間とは大変でしたね。山城はそろそろ蛇とかでてきそうな季節ななりましたね。
by ノリパ (2011-06-21 13:42)