名護屋城@佐賀県唐津市 その4 [お城踏査]
唐津市鎮西町の名護屋城の続きです。
馬場跡です。
本丸のすぐ下にあります。
ここで馬を走らせていたのでしょうね。
直線の細長い曲輪です。
馬場櫓台です。
馬場の中ほどにあります。
二の丸から見た本丸石垣です。
ここも隅が壊されています。
「破城」の跡です。
名護屋城の整備は壊れた石垣を積みなおすのではなく、「破城」によって壊された石垣そのものが歴史的資料ということで、壊されたままの状態で保存しています。
壊れた状態も歴史なのです。
遊撃丸から見た天守台です。
石垣はみごとに外されています。
本丸から見た遊撃丸です。
周囲を石塁で囲んでいます。
非常に防御性の高い曲輪です。
天守台の直下にあるからでしょうか。
左下は虎口です。
遊撃丸の石垣です。
ところどころ石垣が崩されています。
遊撃丸の石塁です。
とてもきれいに残っています。
整備のため一部積み直されています。
二の丸の舟手口です。
ここから海に通じていました。
二の丸とはいうものの、む二の丸からは直接本丸には通じていませんでした。
二の丸の石垣です。
合坂になっています。
弾正丸の虎口です。
搦め手門です。
弾正丸には浄水場が建てられています。
弾正丸の名は浅野長政がいたことに由来します。
浅野長政の官職名が「弾正少弼」といったからです。
(続く)
馬場跡です。
本丸のすぐ下にあります。
ここで馬を走らせていたのでしょうね。
直線の細長い曲輪です。
馬場櫓台です。
馬場の中ほどにあります。
二の丸から見た本丸石垣です。
ここも隅が壊されています。
「破城」の跡です。
名護屋城の整備は壊れた石垣を積みなおすのではなく、「破城」によって壊された石垣そのものが歴史的資料ということで、壊されたままの状態で保存しています。
壊れた状態も歴史なのです。
遊撃丸から見た天守台です。
石垣はみごとに外されています。
本丸から見た遊撃丸です。
周囲を石塁で囲んでいます。
非常に防御性の高い曲輪です。
天守台の直下にあるからでしょうか。
左下は虎口です。
遊撃丸の石垣です。
ところどころ石垣が崩されています。
遊撃丸の石塁です。
とてもきれいに残っています。
整備のため一部積み直されています。
二の丸の舟手口です。
ここから海に通じていました。
二の丸とはいうものの、む二の丸からは直接本丸には通じていませんでした。
二の丸の石垣です。
合坂になっています。
弾正丸の虎口です。
搦め手門です。
弾正丸には浄水場が建てられています。
弾正丸の名は浅野長政がいたことに由来します。
浅野長政の官職名が「弾正少弼」といったからです。
(続く)
2014-09-24 21:37
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コメント(2)
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なるほど、壊された状態も歴史ですか。
by 川崎工場長 (2014-09-26 17:22)
復元しないで破城された姿こそ
古に思いを馳せられますね。
城については、ここで勉強させていただきます
by majyo (2014-09-26 20:06)