名護屋城@佐賀県唐津市 その3 [お城踏査]
名護屋城の続きです。
名護屋城は現在は唐津市ですが、合併以前は鎮西町でした。
唐津市も広くなりました。
名護屋城の図です。
織豊期城郭らしい整然とした縄張りです。
本丸の天守台です。
石垣は破壊されていて残っていません。
やはり重要部分なので徹底的に破城されています。
天守跡の石碑です。
隅に建てられています。
天守台の説明です。
これも陶板です。
天守の平面図のアップです。
ここには五重の天守が聳えていました。
天守の大きさは東西19メートル、南北23メートルの長方形でした。
肥前名護屋城図屏風に描かれた天守です。
五重で内部は7階の立派な天守でした。
天守台は実際より小さく感じました。
石垣がなくなっているからでしょうか。
周囲は土塁状に高まりがありました。
もしかしたら穴蔵になっていたのでしょうか。
礎石が一部残っていました。
名護屋城の石碑です。
本丸からは海がよく見えます。
本丸には秀吉の御殿が建てられていました。
今は礎石しかありません。
礎石によって平面復元されています。
本丸の図面です。
屏風の本丸部分です。
本丸には所狭しと御殿が建ち並んでいました。
秀吉の黄金の茶室もあったようです。
(続く)
名護屋城は現在は唐津市ですが、合併以前は鎮西町でした。
唐津市も広くなりました。
名護屋城の図です。
織豊期城郭らしい整然とした縄張りです。
本丸の天守台です。
石垣は破壊されていて残っていません。
やはり重要部分なので徹底的に破城されています。
天守跡の石碑です。
隅に建てられています。
天守台の説明です。
これも陶板です。
天守の平面図のアップです。
ここには五重の天守が聳えていました。
天守の大きさは東西19メートル、南北23メートルの長方形でした。
肥前名護屋城図屏風に描かれた天守です。
五重で内部は7階の立派な天守でした。
天守台は実際より小さく感じました。
石垣がなくなっているからでしょうか。
周囲は土塁状に高まりがありました。
もしかしたら穴蔵になっていたのでしょうか。
礎石が一部残っていました。
名護屋城の石碑です。
本丸からは海がよく見えます。
本丸には秀吉の御殿が建てられていました。
今は礎石しかありません。
礎石によって平面復元されています。
本丸の図面です。
屏風の本丸部分です。
本丸には所狭しと御殿が建ち並んでいました。
秀吉の黄金の茶室もあったようです。
(続く)
2014-09-24 21:12
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コメント(4)
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拙ブログへのコメントありがとうございます。
名護屋城跡も是非行ってみたいです。
残っているモノが少ないだけに想像が膨らみそうです。
by johncomeback (2014-09-25 05:54)
平面図があるとわかりやすいですね。
by pandan (2014-09-25 08:42)
豊臣秀吉が栄華を極めたころの築城なんでしょうか。
ずいぶんと立派なお城だったんですね。
by 川崎工場長 (2014-09-25 17:13)
名護屋城址は昔は案内板とか何もなく、ただの広場だった気が… 今はちゃんと観光地してますね(嬉)
by 唐津っ子 (2014-09-25 23:51)