堀秀治陣屋@佐賀県唐津市 [お城踏査]

名護屋城の周りには大名の陣屋が建てられていました。

佐竹氏の家臣の平塚滝俊の書状には「岸へは皆諸国の大名衆御陣取にて候、野も山もあく所なく候」と書かれている様に、周囲の山々にはほとんど陣屋が建てられていました。

現在、約130ケ所の陣屋跡が確認されています。

堀秀治の陣屋です。

kyusyu 151.jpg

登り口にある説明です。

陶板です。

kyusyu 152.jpg

主郭の土塁と虎口です。

土塁の凹んだところが虎口です。

堀氏の陣屋は小高い丘の上にあります。


kyusyu 153.jpg

堀切です。

堀は浅く狭いです。

陣屋のためここで戦うのではないので、堀や土塁も小さいです。
区画や権威付けのためくらいでしょうか。

比較的きれいに整備されていますが、やはり夏のため夏草が伸びています。

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建物跡を遺構表示しています。

発掘調査の成果建物が確認されています。

kyusyu 156.jpg

建物を復元したイラストです。

書院造りの建物が並んでいました。

kyusyu 158.jpg

主郭前の虎口です。
少し分かりにくいですが、枡形虎口になっていました。

格式を示すためでしょうか。

kyusyu 157.jpg

陣屋の中心部の図面です。

比較的大きな陣屋でした。

史料によると堀氏は3千騎の兵力でした。
3,000人以上がここに駐屯していたようです。

kyusyu 160.jpg

石垣です。
低く、石を数段積んだだけのものです。

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コメント 1

川崎工場長

3000人が駐屯とは大きな陣屋だったんですね。
by 川崎工場長 (2014-09-28 16:20) 

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