妻女山の上杉謙信陣城 [お城踏査]
武田信玄と上杉謙信が戦った川中島古戦場での上杉氏の本陣であった妻女山に登ってきました。
通常、妻女山と言われている山は標高411メートルの突き出した尾根の先端で、現在は妻女山松代招魂社や展望台が建っています。確かにここからも川中島は一望できます。現在、神社の周囲には低い土塁が廻っていますが、どうもこれは後世作られたもののようです。
実はこの山は赤坂山と言われており、地元ではここより尾根続きの背後にある通称「斎場山」こそが上杉謙信の本陣と伝えられています。この斎場山は標高513メートルで、この付近は陣場平、床机塚、千人窪などの地名が残ります。そうしてみると山の名前の「斎場山」は「妻女山」に通じます。一説には国造の妻女を斎き祀るということからこの名前がついたと言われます。
「斎場山」はその名の通りに古墳がたくさんあります。謙信が本陣を置いたと伝えられる「床机塚」は古墳の跡で、周囲を階段状に削平した跡もみられます。この古墳の上には上杉謙信本陣跡という標柱が建ちます。
この古墳の上に立つとこここそが本来の上杉謙信の本陣であったことが実感できます。
通常、妻女山と言われている山は標高411メートルの突き出した尾根の先端で、現在は妻女山松代招魂社や展望台が建っています。確かにここからも川中島は一望できます。現在、神社の周囲には低い土塁が廻っていますが、どうもこれは後世作られたもののようです。
実はこの山は赤坂山と言われており、地元ではここより尾根続きの背後にある通称「斎場山」こそが上杉謙信の本陣と伝えられています。この斎場山は標高513メートルで、この付近は陣場平、床机塚、千人窪などの地名が残ります。そうしてみると山の名前の「斎場山」は「妻女山」に通じます。一説には国造の妻女を斎き祀るということからこの名前がついたと言われます。
「斎場山」はその名の通りに古墳がたくさんあります。謙信が本陣を置いたと伝えられる「床机塚」は古墳の跡で、周囲を階段状に削平した跡もみられます。この古墳の上には上杉謙信本陣跡という標柱が建ちます。
この古墳の上に立つとこここそが本来の上杉謙信の本陣であったことが実感できます。
2010-03-03 00:47
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コメント(2)
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弊ブログにお越しくださりありがとうございました。
by ひでほ (2010-03-03 13:42)
NICEありがとうございました。
城址探索おもしろそうですね。
by Jetstream777 (2010-03-04 14:20)