『信長革命』藤田達生著 [お城の本]

最近発行された藤田達生氏著『信長革命-安土幕府の衝撃』はかなり衝撃的な内容です。
藤田氏は三重大学の教授で、織豊期の論考をたくさん書かれています。
最近では、本能寺の変の黒幕に関する本が刺激的でした。

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中でも注目すべきは安土城の解釈です。
織田信長は安土に幕府を開くことを目的としていたとして安土城の縄張りを読んでいます。

最近の発掘調査により、安土城の姿は随分と分かってきました。
中でも大手口の門が3つ(4つという説もある)並んでいたこと。
大手道が直線状に伸びて、その周囲に屋敷地があったこと。
本丸御殿が御所の清涼殿と同じ構造だったこと(異説もあります)。

それを表したのが下の図ですが、見難いかもしれません。
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本丸御殿が清涼殿とおなじプランというのは、以前から指摘されていました。
これは天皇を安土城に招く「行幸」のため、本丸に清涼殿を作ったと解釈されていました。
藤田氏をこれを更に進めて、「行幸」ではなくて、本丸に朝廷を移すという計画だったという大胆な説を出しています。

確かに非常に魅力的な説ですが、あの狭い本丸内に御所を移すというのはどう考えても無理があるように思えます。
また、大手道の両側の屋敷は公家の屋敷といいますが、発掘調査の成果によると屋敷の構造は武家屋敷のそれをあらわしていました。

安土城の天守閣についても、従来の復元とは全く別のプランを提示します。
従来の復元は下の写真のようなものです。
これは佐藤大規氏の復元です。

azuchi000.jpg

藤田氏は、1階から3階までの障壁画が多く書かれた部屋から、3階までを書院造りのオープンな建物を三層にしてその上に望楼を載せた形とします。
いわゆる金閣寺の形です。

2010111101.jpg

そういえば、映画「火天の城」の中でも、京都の大工池上氏は三層の楼閣の上に金閣寺を載せていたブランが出ていました。あれの逆バージョンですね。

確かに金閣を真似したという指摘は一理あります。
しかし、岐阜城から安土城、大坂城への城の系譜がつながりません。
また、安土城は政庁や宮殿であるという指摘は一理ありますが、そもそもお城が防御施設であるという視点が弱いのではないかとも感じました。

最近、盛んな安土城の復元プランに一石を投じる書には違いないでしょう。
縄張り研究からは出にくい発想ではないでしょうか。


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コメント 8

Umi-Bozu

私などは単純に城は戦略上の拠点と考えるのですが、権力の象徴として扱われることはあるのでしょうか?信長の時代は前者の考えが優勢なのでしょうか?
by Umi-Bozu (2011-01-18 23:06) 

今造ROWINGTEAM

興味深い本ですね^^★
by 今造ROWINGTEAM (2011-01-19 11:49) 

りりー

こんばんは^^!☆
ゆっくり見たり想いを馳せたりしたくなります・・・
by りりー (2011-01-19 19:34) 

オカジュン765

こんばんわ。安土城には諸説ありますね。私は安土城が母君の菩提寺だという説に興味をそそられました。いろいろな説、タイムマシーンでもあればすべてがわかるのですが、それでは夢がなくなりますね。
勝手な申し出スイマセン。4月に出る私の本の装丁案が上がってきました。よろしければ感想よろしくお願いします。
by オカジュン765 (2011-01-20 21:16) 

ゆったん

ご訪問&nice!&コメントありがとうございましたっ!
これからもぜひお越しください(^_^)
私もお邪魔させて頂こうと思いますっ(^o^)/

by ゆったん (2011-01-21 01:17) 

新危機管理研

ご訪問&nice!ありがとうございます。
私もお邪魔させて頂こうと思います。
by 新危機管理研 (2011-01-21 06:21) 

オカジュン765

おはようございます。訪問おおきにです。装丁の感想ありがとうございます。
参考にさせていただきよりよい装丁にしていきたいと思います。
by オカジュン765 (2011-01-21 08:37) 

彩美

こんにちは。
訪問、nice、コメントありがとうございます。(^^♪
by 彩美 (2011-01-21 11:34) 

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