掛川城二の丸御殿 その2 [御殿]
掛川城二の丸御殿の続きです。
広間の奥を紹介します。
広間の次の三の間です。
次の間から見た上の間です。
上の間と次の間は2間続きです。
90度折れて三の間が続きます。
廊下から見た上の間です。
上の間の正面です。
書院造りで、床の間と違い棚があります。
しかし、城郭の御殿の特徴である、帳台構えにはなっていません。
武者隠しや付書院はありません。
また、障壁画もないため、二条城などに比べると随分と質素に感じます。
掛川城の現存する御殿は、安政元年(1854)の安政の大地震で倒壊した御殿を、城主の太田氏が翌年から5年かけて再建したものです。
時は幕末で財政的にも厳しく、幕府の倹約令もあって質素な形となったのではないでしょうか。
それにしても、上の間も一段高くなく、障壁画も帳台構えもない御殿は桃山風の豪華な城郭御殿からすると質素で、これまであまり注目されてこなかった理由の一つでもあるでしょう。
欄間も彫刻ではなく、筬欄間です。
これも幕末のためでしょうか。
釘隠しです。
太田氏の家紋が意匠されています。
御殿の間取り図です。
台所などを除く往時の御殿の大部分が現存しています。
広間の奥を紹介します。
広間の次の三の間です。
次の間から見た上の間です。
上の間と次の間は2間続きです。
90度折れて三の間が続きます。
廊下から見た上の間です。
上の間の正面です。
書院造りで、床の間と違い棚があります。
しかし、城郭の御殿の特徴である、帳台構えにはなっていません。
武者隠しや付書院はありません。
また、障壁画もないため、二条城などに比べると随分と質素に感じます。
掛川城の現存する御殿は、安政元年(1854)の安政の大地震で倒壊した御殿を、城主の太田氏が翌年から5年かけて再建したものです。
時は幕末で財政的にも厳しく、幕府の倹約令もあって質素な形となったのではないでしょうか。
それにしても、上の間も一段高くなく、障壁画も帳台構えもない御殿は桃山風の豪華な城郭御殿からすると質素で、これまであまり注目されてこなかった理由の一つでもあるでしょう。
欄間も彫刻ではなく、筬欄間です。
これも幕末のためでしょうか。
釘隠しです。
太田氏の家紋が意匠されています。
御殿の間取り図です。
台所などを除く往時の御殿の大部分が現存しています。
2011-02-17 21:54
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コメント(11)
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出張帰りに青白い光に浮かぶ天守閣を横眼で見てましたが、それとは別にこんなところがあったんですね~ 知りませんでした。
by Umi-Bozu (2011-02-17 22:20)
安政なら幕末で、どこの藩も大変でしたでしょう。
再建するときは、城下や江戸大阪の町人に借金したのかもしれませんね。
今見ると質素ながら無骨な造りには好感が持てますが。
by ナツパパ (2011-02-17 22:50)
はじめまして!
ご訪問&nice!を頂きまして,ありがとうございました。
これからも,よろしくお願い致しますm(_ _)m
by たかれろ (2011-02-17 23:01)
初めまして。
城&温泉というと、昔住んでいた松山を思い出します。
道後温泉は家族で何回も行きました。
今宵はもう遅いので、また伺います。
by 葵ママ (2011-02-18 00:03)
初コメです。ご訪問ありがとうございます。
掛川城御殿は一昨年末行きましたが、確かに煌びやかさは全く無く、
質素な雰囲気でしたね。
逆に再建された城が、やや豪華な感じに見えますが(笑)
by アキーロ (2011-02-18 02:01)
おはようございます。まいど訪問おおきにです。
お城だけでも日本全国にあって、あと仏閣など周ると一生あって全部訪問できるのかなと思います。まだまだ未開の地は私には多いようです。
by オカジュン765 (2011-02-18 07:57)
お越しくださってありがとうございました
友達に城好きがいます、教えてあげたら喜ぶかな!
by あおぞら (2011-02-18 08:28)
シンプルでスキッと締まりのあるデザインで、いい感じです。
by お水番 (2011-02-18 10:04)
ねじまき鳥さん
ご訪問&niceありがとうございました^^
こちらの近くには平戸城があります^^
by erucat (2011-02-18 10:50)
貴重な建物ですね。
by 袋田の住職 (2011-02-18 17:41)
掛川城と言いますと,『功名が辻』に
山内一豊の居城だったこともある旨
書かれていたと記憶しております。
安政の大地震で倒壊していたことは
初めて知りました。
by 【みなと】 (2011-02-21 08:31)