中田陣屋の移築門 [移築建物]
中田陣屋は愛知県西尾市一色町池田にあった江戸時代の陣屋です。
中田陣屋の門を移築したと伝えられる門がすぐ近くの長久院にあります。
朱色の門が鮮やかです。
門は四つ脚門です。
門自体も小ぶりです。
門の形式も城門に使われる形式ではなく、屋根も寺院の門の形です。
移築後に変えられた可能性もありますが、陣屋の門とするには疑問が残ります。
部材のみを一部使ったのでしょうか。
ちなみに中田陣屋はこの長久院のすぐ前にありましたが、現在は畑地となり遺構はありません。
中田陣屋の門を移築したと伝えられる門がすぐ近くの長久院にあります。
朱色の門が鮮やかです。
門は四つ脚門です。
門自体も小ぶりです。
門の形式も城門に使われる形式ではなく、屋根も寺院の門の形です。
移築後に変えられた可能性もありますが、陣屋の門とするには疑問が残ります。
部材のみを一部使ったのでしょうか。
ちなみに中田陣屋はこの長久院のすぐ前にありましたが、現在は畑地となり遺構はありません。
小牧陣屋の移築門 [移築建物]
小牧陣屋(西尾市吉良町小牧)の門が同市萩原にある糟谷邸に移築されています。
糟谷邸はこの地方の豪農・豪商であった糟谷縫右衛門家の屋敷です。
糟谷家は江戸時代を通してこの地方の大地主として、また三河木綿の江戸送り総問屋として栄えました。
正面です。
立派な長屋門です。
裏から見た長屋門です。
説明です。
説明によると、糟谷家が御用達を務めた大多喜藩小牧陣屋から移築されたとの伝承をもつ建物です。
糟谷家では唯一の本瓦葺き建物で、西の鬼瓦に「延享元年(1744)四月吉日」のへら書きが残っています。
幕府が諸国に派遣した巡見使が当家に宿泊した際には、お供の宿泊に使われました。
門の扉です。
重厚さを感じます。
内側から見た門扉です。
小牧陣屋絵図を見ると、陣屋の門は長屋門に描くものもありますが、もう少し小さく書くものもあります。
糟谷邸の長屋門を見ると長屋部分は比較的新しいので、もしかしたら門の柱と扉部分のみを移築したのではないでしょうか。
糟谷邸はこの地方の豪農・豪商であった糟谷縫右衛門家の屋敷です。
糟谷家は江戸時代を通してこの地方の大地主として、また三河木綿の江戸送り総問屋として栄えました。
正面です。
立派な長屋門です。
裏から見た長屋門です。
説明です。
説明によると、糟谷家が御用達を務めた大多喜藩小牧陣屋から移築されたとの伝承をもつ建物です。
糟谷家では唯一の本瓦葺き建物で、西の鬼瓦に「延享元年(1744)四月吉日」のへら書きが残っています。
幕府が諸国に派遣した巡見使が当家に宿泊した際には、お供の宿泊に使われました。
門の扉です。
重厚さを感じます。
内側から見た門扉です。
小牧陣屋絵図を見ると、陣屋の門は長屋門に描くものもありますが、もう少し小さく書くものもあります。
糟谷邸の長屋門を見ると長屋部分は比較的新しいので、もしかしたら門の柱と扉部分のみを移築したのではないでしょうか。
要法寺の伏見城の城門 [移築建物]
要法寺は京都市左京区法皇寺町新高倉通孫橋上ルにあります。
八坂神社や知恩院の近くです。
日蓮本宗の本山です。
松の寺と呼ばれています。
本山だけあり、境内はかなり広いです。
ただ、お正月という割には初詣の人はほとんどいなく、閑散としていました。
八坂神社や知恩院とは対照的でした。
伏見城から移築されたと伝えられる門です。
西門です。
安政4年(1857)に伏見城から移築されたと言われています。
安政といえば、幕末に近く、伏見城の廃城は江戸の初期の元和9年(1623)なのでかなり後です。
それまでの200年の間どこかに移築されていて、それを再び移築したのでしょうか。
裏から見たところです。
高麗門です。
移築した割には新しく感じられます。
表門です。
こちらは享保9年(1724)に伏見城から移築したと言われています。
享保といえば、享保の改革で有名な8代将軍徳川吉宗の時代ですが、それでも伏見城の廃城からは100年も後の事です。
こちらの門のほうが城の門らしくなく、寺の門らしい雰囲気です。
伏見城の門を移築したと伝えられる遺構は、京都市内でも西本願寺唐門、二尊院総門、御香宮神社表門、観音寺山門などがあります。
八坂神社や知恩院の近くです。
日蓮本宗の本山です。
松の寺と呼ばれています。
本山だけあり、境内はかなり広いです。
ただ、お正月という割には初詣の人はほとんどいなく、閑散としていました。
八坂神社や知恩院とは対照的でした。
伏見城から移築されたと伝えられる門です。
西門です。
安政4年(1857)に伏見城から移築されたと言われています。
安政といえば、幕末に近く、伏見城の廃城は江戸の初期の元和9年(1623)なのでかなり後です。
それまでの200年の間どこかに移築されていて、それを再び移築したのでしょうか。
裏から見たところです。
高麗門です。
移築した割には新しく感じられます。
表門です。
こちらは享保9年(1724)に伏見城から移築したと言われています。
享保といえば、享保の改革で有名な8代将軍徳川吉宗の時代ですが、それでも伏見城の廃城からは100年も後の事です。
こちらの門のほうが城の門らしくなく、寺の門らしい雰囲気です。
伏見城の門を移築したと伝えられる遺構は、京都市内でも西本願寺唐門、二尊院総門、御香宮神社表門、観音寺山門などがあります。