姫路城 その5 [お城踏査]
姫路城の続きです。
ほの門です。
石垣をくり貫いた埋門形式の門です。
何しろ人が途切れなくて門の写真が撮れません。
人のいるあたりがほの門です。
中央の塀は油壁です。
ほの門から見たにの櫓です。
1重の櫓で天守への道を守ります。
ほの門を入って左手にあるイの渡り櫓です。
ほの門を入ると天守の北に渡り櫓があります。
イ、ロ、ハ、ニ、ホ、への渡り櫓です。
もともとはこちらも見学できたのですが、今は人が多すぎるため一方通行になっていてこちらには進めません。
ここは小天守の直下です。
小天守からの石落しや鉄砲狭間からの攻撃を受けてしまいます。
ほの門を進むと天守に行くにはすぐに360度Uターンして水一の門を潜らないといけません。
油壁の左にあるのが水一の門です。
思わず素通りしてまっすぐ行ってしまいそうです。
水二の門です。
右手の櫓はニの櫓です。
本当に人がいっぱいで写真が撮れません。
裏から見た水二の門です。
左は二の櫓、右は小天守です。
水三の門です。
短い区間にこれでもかというほど門が連続します。
土塀の瓦です。
姫路城の瓦は特徴的で、軒丸瓦の間に滴水瓦という三角の飾りがあります。
水四の門です。
いよいよ天守が近づいてきました。
中から見た水四の門です。
いよいよ天守への最後の関門、水五の門です。
水五の門の正面です。
門の柱には鉄板が打ちつけてあります。
次回はいよいよ天守の中に入ります。
ここまで本当に1時間以上かかりました。
(続く)
ほの門です。
石垣をくり貫いた埋門形式の門です。
何しろ人が途切れなくて門の写真が撮れません。
人のいるあたりがほの門です。
中央の塀は油壁です。
ほの門から見たにの櫓です。
1重の櫓で天守への道を守ります。
ほの門を入って左手にあるイの渡り櫓です。
ほの門を入ると天守の北に渡り櫓があります。
イ、ロ、ハ、ニ、ホ、への渡り櫓です。
もともとはこちらも見学できたのですが、今は人が多すぎるため一方通行になっていてこちらには進めません。
ここは小天守の直下です。
小天守からの石落しや鉄砲狭間からの攻撃を受けてしまいます。
ほの門を進むと天守に行くにはすぐに360度Uターンして水一の門を潜らないといけません。
油壁の左にあるのが水一の門です。
思わず素通りしてまっすぐ行ってしまいそうです。
水二の門です。
右手の櫓はニの櫓です。
本当に人がいっぱいで写真が撮れません。
裏から見た水二の門です。
左は二の櫓、右は小天守です。
水三の門です。
短い区間にこれでもかというほど門が連続します。
土塀の瓦です。
姫路城の瓦は特徴的で、軒丸瓦の間に滴水瓦という三角の飾りがあります。
水四の門です。
いよいよ天守が近づいてきました。
中から見た水四の門です。
いよいよ天守への最後の関門、水五の門です。
水五の門の正面です。
門の柱には鉄板が打ちつけてあります。
次回はいよいよ天守の中に入ります。
ここまで本当に1時間以上かかりました。
(続く)
姫路城 その4 [お城踏査]
化粧櫓を見学した後は一旦菱の門まで戻ります。
西の丸から見た天守です。
戻らなくても天守に行けますが、そうすると見ないでスルーしてしまう門があるのです。
いの門です。
姫路城の門は菱の門を入るとイロハの順に名前が付けられています。
いの門は高麗門です。
ろの門です。
いの門とろの門は一直線に並んでいます。
ろの門の裏側です。
ろの門も高麗門です。
扉の雨よけの庇が付いています。
天守が次第に近づいてきました。
楽しみです。
はの門に向かいます。
石垣と土塀にはさまれた狭い通路を進みます。
上から鉄砲で撃たれたら逃げようがありません。
絶体絶命です。
はの門です。
はの門は櫓門ですが比較的小さな門です。
はの門の柱の礎石に使われた灯籠の石です。
姫路城でも灯籠や古墳の石室や臼なども石垣の石材に使われています。
ろの櫓とにの門です。
内から見たはの門の櫓部分です。
屋根は切妻です。
右に入口が見れます。
近くによって見たかったけど、ロープで規制されていて見学コースしか見れません。
以前は自由に見れたのに、見学者が増えすぎたために規制も多くなりました。
城内も一方通行になっていて、勝手に歩き回れません。
にの門です。
にの門ははの門から180度反対を向いて、つまり天守に背を向けて進みます。
このあたりが姫路城が迷路と言われる所以です。
このあたりから混雑が激しくなって、列が全く進まなくなりました。
ここから天守までのろのろで1時間かかりました。
にの門です。
にの門も櫓門ですが、ろの櫓とつながっています。
トンネルのような石垣の間を通って進みます。
天井はとても低いですが、人が多すぎて中では写真が撮れませんでした。
にの門を抜けると天守はすぐ目前です。
しかし、ここからがさらに厳重で、ここから天守に入るのには更に6つの門を突破しなくてはなりません。
まさに名城ですね。
(まだまだ続く)
西の丸から見た天守です。
戻らなくても天守に行けますが、そうすると見ないでスルーしてしまう門があるのです。
いの門です。
姫路城の門は菱の門を入るとイロハの順に名前が付けられています。
いの門は高麗門です。
ろの門です。
いの門とろの門は一直線に並んでいます。
ろの門の裏側です。
ろの門も高麗門です。
扉の雨よけの庇が付いています。
天守が次第に近づいてきました。
楽しみです。
はの門に向かいます。
石垣と土塀にはさまれた狭い通路を進みます。
上から鉄砲で撃たれたら逃げようがありません。
絶体絶命です。
はの門です。
はの門は櫓門ですが比較的小さな門です。
はの門の柱の礎石に使われた灯籠の石です。
姫路城でも灯籠や古墳の石室や臼なども石垣の石材に使われています。
ろの櫓とにの門です。
内から見たはの門の櫓部分です。
屋根は切妻です。
右に入口が見れます。
近くによって見たかったけど、ロープで規制されていて見学コースしか見れません。
以前は自由に見れたのに、見学者が増えすぎたために規制も多くなりました。
城内も一方通行になっていて、勝手に歩き回れません。
にの門です。
にの門ははの門から180度反対を向いて、つまり天守に背を向けて進みます。
このあたりが姫路城が迷路と言われる所以です。
このあたりから混雑が激しくなって、列が全く進まなくなりました。
ここから天守までのろのろで1時間かかりました。
にの門です。
にの門も櫓門ですが、ろの櫓とつながっています。
トンネルのような石垣の間を通って進みます。
天井はとても低いですが、人が多すぎて中では写真が撮れませんでした。
にの門を抜けると天守はすぐ目前です。
しかし、ここからがさらに厳重で、ここから天守に入るのには更に6つの門を突破しなくてはなりません。
まさに名城ですね。
(まだまだ続く)
姫路城 その3 [お城踏査]
姫路城の続きです。
西の丸多聞櫓はまだ続きます。
百間廊下と言われるように200メートル近い長さです。
二重の櫓はヌの櫓です。
多聞櫓はただ長いだけではなくて、途中で仕切りの扉があります。
左の板が扉です。
多聞櫓の最後にあるのが化粧櫓です。
化粧櫓は変則的な二重櫓です。
化粧櫓は二階部分には畳が敷かれていて櫓座敷になっていました。
化粧櫓の名前は女性らしく、千姫が天満宮を遥拝する場所に使われたことに由来します。
中には千姫と腰元の人形が置かれています。
千姫とは徳川家康の孫で豊臣秀頼に嫁したのち、大坂落城により、実家に戻り、姫路城主の本多忠刻と再婚しました。
化粧櫓の内部です。
以前に姫路城に行ったときには化粧櫓の中には入れませんでしたが、今回は公開していました。
櫓の内部は座敷になっていて、床の間もあります。
平山城の場合は御殿の面積が広く取れないために櫓の中を座敷として使うことがありました。
通常の櫓の中は倉庫などに使われて殺風景ですが、化粧櫓は華やかです。
同様に櫓の中を座敷として使った例は津山城の備中櫓があります。
天井は竿縁天井です。
窓も大きく開放的で、防御のための櫓というよりも、居住空間の色合いが強いです。
化粧櫓の入口です。
化粧櫓の外に付属する土塀です。
三角や四角の銃眼(鉄砲狭間)が並びます。
銃眼の位置が低く感じます。
(続く)
西の丸多聞櫓はまだ続きます。
百間廊下と言われるように200メートル近い長さです。
二重の櫓はヌの櫓です。
多聞櫓はただ長いだけではなくて、途中で仕切りの扉があります。
左の板が扉です。
多聞櫓の最後にあるのが化粧櫓です。
化粧櫓は変則的な二重櫓です。
化粧櫓は二階部分には畳が敷かれていて櫓座敷になっていました。
化粧櫓の名前は女性らしく、千姫が天満宮を遥拝する場所に使われたことに由来します。
中には千姫と腰元の人形が置かれています。
千姫とは徳川家康の孫で豊臣秀頼に嫁したのち、大坂落城により、実家に戻り、姫路城主の本多忠刻と再婚しました。
化粧櫓の内部です。
以前に姫路城に行ったときには化粧櫓の中には入れませんでしたが、今回は公開していました。
櫓の内部は座敷になっていて、床の間もあります。
平山城の場合は御殿の面積が広く取れないために櫓の中を座敷として使うことがありました。
通常の櫓の中は倉庫などに使われて殺風景ですが、化粧櫓は華やかです。
同様に櫓の中を座敷として使った例は津山城の備中櫓があります。
天井は竿縁天井です。
窓も大きく開放的で、防御のための櫓というよりも、居住空間の色合いが強いです。
化粧櫓の入口です。
化粧櫓の外に付属する土塀です。
三角や四角の銃眼(鉄砲狭間)が並びます。
銃眼の位置が低く感じます。
(続く)
姫路城 その2 [お城踏査]
姫路城の続きです。
菱の門を出ると道は正面、左右と3方向に分かれています。
通常の観光コースは西の丸経由なので左に進みます。
西の丸の土塀です。
銃眼と石落としです。
ワの櫓と多聞櫓の入口です。
ワの櫓から入ります。
西の丸の多聞櫓は百間廊下とも長局とも呼ばれている姫路城の見どころの一つです。
多聞櫓の内部です。
長い廊下が延々と続きます。
城外に向かって銃眼(鉄砲狭間)と石落しがあります。
多聞櫓にところどころに隅櫓があります。
櫓に上る階段です。
櫓には入れません。
多聞櫓の内部です。
細かい部屋に仕切られていました。
通常、多聞櫓は武具などを仕舞う倉庫として使われることが多いのですが、姫路城は女中の人が住んでいました。
西の丸にあった御殿の長局として機能していました。
窓から見た多聞櫓です。
(続く)
菱の門を出ると道は正面、左右と3方向に分かれています。
通常の観光コースは西の丸経由なので左に進みます。
西の丸の土塀です。
銃眼と石落としです。
ワの櫓と多聞櫓の入口です。
ワの櫓から入ります。
西の丸の多聞櫓は百間廊下とも長局とも呼ばれている姫路城の見どころの一つです。
多聞櫓の内部です。
長い廊下が延々と続きます。
城外に向かって銃眼(鉄砲狭間)と石落しがあります。
多聞櫓にところどころに隅櫓があります。
櫓に上る階段です。
櫓には入れません。
多聞櫓の内部です。
細かい部屋に仕切られていました。
通常、多聞櫓は武具などを仕舞う倉庫として使われることが多いのですが、姫路城は女中の人が住んでいました。
西の丸にあった御殿の長局として機能していました。
窓から見た多聞櫓です。
(続く)
姫路城@兵庫県姫路市 [お城踏査]
姫路に来たのは、第一の目的は姫路城を見るためです。
修理によって壁が白くなりすぎて白鷺城ならぬ白すぎ城とも言われる姫路城をこの目で見たくなったのです。
当分は混むので行くのをやめようと思っていたけど、時間がたつと白壁がくすんで白すぎ城が見えなくなると聞いたので急遽の訪姫でした。
姫路城の大手門です。
高麗門だけですが、異様な大きさです。
実はこの門は明治時代に復元されたものなのです。
大手門付近の絵図です。
桜門という名前でした。
実際には門の横に三重の太鼓櫓などが建ち並び厳重な門となっていました。
内部は枡形門となっていました。
また、石垣も一部撤去されているので、本来の形とは随分と違っています。
このあたりも本来の門の形に直して欲しいですね。
三の丸の石垣と堀です。
この石垣の上に、れの櫓、その櫓が建っていました。
大手門を抜けると姫路城の天守の姿が目に飛び込んできました。
さすが白い。
天守のアップです。
さすが国宝、さすが世界遺産です。
三の丸からみた西の丸です。
櫓が建ち並びます。
西の丸のカの櫓です。
奥はワの櫓です。
菱の門です。
いよいよ中枢部に進みます。
とにかく人が多いです。
菱の門の前は坂で折れて入ります。
一種の枡形門です。
正面からのアングルです。
門が大きいため、近くからでは全景が入りません。
背後から見た菱の門です。
二階建ての櫓門です。
地形に左右されて一般的な形の門が残らない姫路城では珍しい正式な形の門です。
(続く)
修理によって壁が白くなりすぎて白鷺城ならぬ白すぎ城とも言われる姫路城をこの目で見たくなったのです。
当分は混むので行くのをやめようと思っていたけど、時間がたつと白壁がくすんで白すぎ城が見えなくなると聞いたので急遽の訪姫でした。
姫路城の大手門です。
高麗門だけですが、異様な大きさです。
実はこの門は明治時代に復元されたものなのです。
大手門付近の絵図です。
桜門という名前でした。
実際には門の横に三重の太鼓櫓などが建ち並び厳重な門となっていました。
内部は枡形門となっていました。
また、石垣も一部撤去されているので、本来の形とは随分と違っています。
このあたりも本来の門の形に直して欲しいですね。
三の丸の石垣と堀です。
この石垣の上に、れの櫓、その櫓が建っていました。
大手門を抜けると姫路城の天守の姿が目に飛び込んできました。
さすが白い。
天守のアップです。
さすが国宝、さすが世界遺産です。
三の丸からみた西の丸です。
櫓が建ち並びます。
西の丸のカの櫓です。
奥はワの櫓です。
菱の門です。
いよいよ中枢部に進みます。
とにかく人が多いです。
菱の門の前は坂で折れて入ります。
一種の枡形門です。
正面からのアングルです。
門が大きいため、近くからでは全景が入りません。
背後から見た菱の門です。
二階建ての櫓門です。
地形に左右されて一般的な形の門が残らない姫路城では珍しい正式な形の門です。
(続く)