浜松城@静岡県浜松市 [お城踏査]
浜松城です。
天守です。
昭和33年に建てられました。
江戸時代に既に天守は焼失していて天守台のみが残っていました。
現在の天守はコンクリートで建てられた模擬復興天守です。
浜松城の天守は何重だったのか、何色だったのかはわかりません。
現在の天守も天守台の上に建てられていますが、天守台より小さめです。
木造で立て直そうという話もありますが、そもそも形もわからないのに木造で再び建てる意味があるのでしょうか。
天守の石落しです。
大きくて目立ちます。
そもそも石落しがあったかどうかもわかりませんが、位置的には可能性はあるでしょうね。
天守台地下にある井戸です。
天守に井戸があるということはかなり実戦的な天守です。
おそらく天正18年に入った堀尾吉晴によって天守は建てられました。
堀尾氏が後に建てた松枝城の天守にも井戸があります。
天守内にある浜松城之模型の天守の付近です。
石垣のみです。
浜松城の家紋瓦です。
井上氏です。
同じく松平氏です。
天守入り口から見た天守門です。
手前の天守への入り口は複雑に折れて入るようになっています。
このあたりも戦国期の実戦的な縄張りです。
天守門と天守です。
並び立つとなかなかの景観です。
本丸に建つ徳川家康の銅像です。
家康といえば晩年の太ったイメージが強いですが、この家康像は浜松城在城当時の若き日の家康です。
体型もスマートです。
天守です。
昭和33年に建てられました。
江戸時代に既に天守は焼失していて天守台のみが残っていました。
現在の天守はコンクリートで建てられた模擬復興天守です。
浜松城の天守は何重だったのか、何色だったのかはわかりません。
現在の天守も天守台の上に建てられていますが、天守台より小さめです。
木造で立て直そうという話もありますが、そもそも形もわからないのに木造で再び建てる意味があるのでしょうか。
天守の石落しです。
大きくて目立ちます。
そもそも石落しがあったかどうかもわかりませんが、位置的には可能性はあるでしょうね。
天守台地下にある井戸です。
天守に井戸があるということはかなり実戦的な天守です。
おそらく天正18年に入った堀尾吉晴によって天守は建てられました。
堀尾氏が後に建てた松枝城の天守にも井戸があります。
天守内にある浜松城之模型の天守の付近です。
石垣のみです。
浜松城の家紋瓦です。
井上氏です。
同じく松平氏です。
天守入り口から見た天守門です。
手前の天守への入り口は複雑に折れて入るようになっています。
このあたりも戦国期の実戦的な縄張りです。
天守門と天守です。
並び立つとなかなかの景観です。
本丸に建つ徳川家康の銅像です。
家康といえば晩年の太ったイメージが強いですが、この家康像は浜松城在城当時の若き日の家康です。
体型もスマートです。
大阪歴史学会大会「伏見城研究の成果と可能性」 [お城情報]
お城関係の研究会の案内です。
伏見城の中心部分は陵墓になっているため立ち入り禁止です。
そのため桃山時代の重要な遺跡でありながらあまり研究が進んでいませんでした。
近年、一部立ち入りが許されたり周辺部の発掘調査が進み次第にわかってきたことも多いようです。
大阪歴史学会大会「伏見城研究の成果と可能性」
日 時 2014年6月29日(日)10:00~
場 所 関西学院大学西宮上ケ原キャンパス(兵庫県西宮市上ケ原一番町)
内 容
「伏見城の調査から見た城郭史的位置付け」中井均氏(滋賀県立大学)
「伏見城の遺構」中西裕樹氏(高槻市しろあと歴史館)
「伏見城の曲輪構成と城下」福島克彦氏(大山崎町歴史資料館)
「大名屋敷からみた首都伏見」横田冬彦氏(京都大学)
伏見城の中心部分は陵墓になっているため立ち入り禁止です。
そのため桃山時代の重要な遺跡でありながらあまり研究が進んでいませんでした。
近年、一部立ち入りが許されたり周辺部の発掘調査が進み次第にわかってきたことも多いようです。
大阪歴史学会大会「伏見城研究の成果と可能性」
日 時 2014年6月29日(日)10:00~
場 所 関西学院大学西宮上ケ原キャンパス(兵庫県西宮市上ケ原一番町)
内 容
「伏見城の調査から見た城郭史的位置付け」中井均氏(滋賀県立大学)
「伏見城の遺構」中西裕樹氏(高槻市しろあと歴史館)
「伏見城の曲輪構成と城下」福島克彦氏(大山崎町歴史資料館)
「大名屋敷からみた首都伏見」横田冬彦氏(京都大学)