竜海院 [寺院]
竜海院は岡崎市明大寺町にあります。
松平氏ゆかりのお寺です。
竜海院は別名を是字寺といいます。
徳川家康の祖父のの松平清康が「是」の字を左手に握る夢を見ました。
大沢の龍渓院輪番模外惟俊和尚にその夢を話すと、是の字は日の下の人なので、子か孫の代に天下をとると言われました。
清康は和尚のために竜海院を建てました。
現に夢のとおりに清康の孫の家康は天下をとりました。
本堂です。
建て直されています。
家康の継母真喜姫(田原御前)の墓です。
酒井氏の墓所です。
竜海院は松平清康の家臣である酒井正親家の菩提寺でした。
竜海院の軒丸瓦には是の字が書かれています。
松平氏ゆかりのお寺です。
竜海院は別名を是字寺といいます。
徳川家康の祖父のの松平清康が「是」の字を左手に握る夢を見ました。
大沢の龍渓院輪番模外惟俊和尚にその夢を話すと、是の字は日の下の人なので、子か孫の代に天下をとると言われました。
清康は和尚のために竜海院を建てました。
現に夢のとおりに清康の孫の家康は天下をとりました。
本堂です。
建て直されています。
家康の継母真喜姫(田原御前)の墓です。
酒井氏の墓所です。
竜海院は松平清康の家臣である酒井正親家の菩提寺でした。
竜海院の軒丸瓦には是の字が書かれています。
平城京大極殿 その2 [歴史雑話]
大極殿の続きです。
大極殿の中には入ることができます。
うれしいことに無料です。
大極殿は平城京の中心的な建物です。
中には天皇が座る高御座が復元されています。
奈良時代の高御座は残っていないので、現存する大正天皇のものを参考にして作られたそうです。
この日は休日にもかかわらず見学者はとても少なかったです。
無料でこんないい施設なのに。
遷都1300年祭りのときはかなり賑わったようですが。
やはり体験型施設でないとリピーターが少ないのでしょうか。
奈良の市外よりも微妙に外れてますし。
中も朱色です。
壁には竜などの絵が描かれています。
天井です。
こちらも寺院などを参考にして造られました。
外壁です。
扉です。
こちらも朱色です。
大極殿の屋根に輝いている鴟尾です。
実物大で中に展示されています。
金色で細かい細工がされていて豪華です。
大極殿は厳密な復元のように思われていますが、実際には当時の設計図や資料は見つかっていません。
そのため発掘調査で判明している基壇や恭仁宮の大極殿(国分寺金堂)の跡に残る礎石の状態などから大極殿の大きさ、形を推定しています。
わずかに残る文献や法隆寺金堂、薬師寺東塔など、同時代の寺院建築も参考にしています。
それらを元に現在の一流の研究者や学者がいろいろな観点から検討してこうであったであろうという形に復原しています。
文化庁の復原の基準も古いほど甘くなります。
城の天守などは詳細な設計図、明治や幕末の古写真がなければ復原できません。
奈良時代や弥生時代には当然写真はありませんし、設計図もありません。
かといってそれでは古い遺跡の復元は全くできなくなってしまうので、時代によって基準を分けています。
この大極殿の復元プランも研究者によっては異なりますが、現在の通説的な考えで復原されたものです。
大極殿の中には入ることができます。
うれしいことに無料です。
大極殿は平城京の中心的な建物です。
中には天皇が座る高御座が復元されています。
奈良時代の高御座は残っていないので、現存する大正天皇のものを参考にして作られたそうです。
この日は休日にもかかわらず見学者はとても少なかったです。
無料でこんないい施設なのに。
遷都1300年祭りのときはかなり賑わったようですが。
やはり体験型施設でないとリピーターが少ないのでしょうか。
奈良の市外よりも微妙に外れてますし。
中も朱色です。
壁には竜などの絵が描かれています。
天井です。
こちらも寺院などを参考にして造られました。
外壁です。
扉です。
こちらも朱色です。
大極殿の屋根に輝いている鴟尾です。
実物大で中に展示されています。
金色で細かい細工がされていて豪華です。
大極殿は厳密な復元のように思われていますが、実際には当時の設計図や資料は見つかっていません。
そのため発掘調査で判明している基壇や恭仁宮の大極殿(国分寺金堂)の跡に残る礎石の状態などから大極殿の大きさ、形を推定しています。
わずかに残る文献や法隆寺金堂、薬師寺東塔など、同時代の寺院建築も参考にしています。
それらを元に現在の一流の研究者や学者がいろいろな観点から検討してこうであったであろうという形に復原しています。
文化庁の復原の基準も古いほど甘くなります。
城の天守などは詳細な設計図、明治や幕末の古写真がなければ復原できません。
奈良時代や弥生時代には当然写真はありませんし、設計図もありません。
かといってそれでは古い遺跡の復元は全くできなくなってしまうので、時代によって基準を分けています。
この大極殿の復元プランも研究者によっては異なりますが、現在の通説的な考えで復原されたものです。