名古屋城本丸御殿の復元工事の近況26年4月下旬 [名古屋城本丸御殿]
名古屋城本丸御殿の復元工事の近況です。
対面所の屋根です。
前回とあまり変わっていません。
対面所の軒を支える撥ね木です。
まだ完全に固定されてはいませんでした。
対面所の破風板を取り付ける作業を行なっていました。
クレーンで破風板を運んでいます。
破風板を取り付けているところです。
北側の破風板です。
覆い屋根の中の木材加工場です。
台所建設予定地あたりにあります。
左奥に見えるのが対面所です。
完成した本丸御殿玄関の一の間です。
床の間と違い棚です。
虎の絵が見事です。
名古屋城天守の三階です。
名古屋城は鉄筋コンクリートで復元されましたが、三階部分は内装が木目調に改修されています。
同じく三階の壁です。
鉄砲や槍をかけれるようになっています。
実際に模型の火縄銃や槍を置いておけばより臨場感がでると思います。
二の丸広場では名古屋城うまいもの集合春まつりを開催していました。
名古屋城本丸御殿弁当が一日限定10食で売られていました。
名古屋の老舗料亭 蔦茂(つたも)の絢爛豪華な弁当です。
1食2500円です。
屋台では名古屋城やきそばや手羽先のから揚げ、味噌串カツ、どて煮が出ていました。
キッチンカーでは、飛騨牛串焼き、明宝ハムステーキ、奥三河鶏から揚げ、阿蘇自然豚ソーセージ、ポークジャーキーなどが売られています。
飲み物は、ザプレミアムモルツ、角ハイボール、-196℃ストロングゼロダブルレモン、伊右衛門、ナッチャンオレンジなどです。
対面所の屋根です。
前回とあまり変わっていません。
対面所の軒を支える撥ね木です。
まだ完全に固定されてはいませんでした。
対面所の破風板を取り付ける作業を行なっていました。
クレーンで破風板を運んでいます。
破風板を取り付けているところです。
北側の破風板です。
覆い屋根の中の木材加工場です。
台所建設予定地あたりにあります。
左奥に見えるのが対面所です。
完成した本丸御殿玄関の一の間です。
床の間と違い棚です。
虎の絵が見事です。
名古屋城天守の三階です。
名古屋城は鉄筋コンクリートで復元されましたが、三階部分は内装が木目調に改修されています。
同じく三階の壁です。
鉄砲や槍をかけれるようになっています。
実際に模型の火縄銃や槍を置いておけばより臨場感がでると思います。
二の丸広場では名古屋城うまいもの集合春まつりを開催していました。
名古屋城本丸御殿弁当が一日限定10食で売られていました。
名古屋の老舗料亭 蔦茂(つたも)の絢爛豪華な弁当です。
1食2500円です。
屋台では名古屋城やきそばや手羽先のから揚げ、味噌串カツ、どて煮が出ていました。
キッチンカーでは、飛騨牛串焼き、明宝ハムステーキ、奥三河鶏から揚げ、阿蘇自然豚ソーセージ、ポークジャーキーなどが売られています。
飲み物は、ザプレミアムモルツ、角ハイボール、-196℃ストロングゼロダブルレモン、伊右衛門、ナッチャンオレンジなどです。
高崎城 その4 [お城復元]
高崎城 その3 [お城踏査]
高崎城 その2 [お城踏査]
高崎城の続きです。
高崎城乾櫓です。
三の丸の土塁の上にあります。
二重櫓です。
櫓としては小さくとてもかわいいです。
ぜんたい、関東地方は近世城郭で建物が残っているお城はとても少ないです。
群馬県では、この高崎城の櫓が唯一です。
もともと関東のお城は高層の天守はなく、石垣造りも少なく、多くが土つくりの城だったので、破壊されやすかったようです。
また、殆どが譜代大名のため、明治政府ににらまれてお城の破却が早くすすんだこともあったようです。
高崎城も三の丸の堀を除いて、中心部の本丸や二の丸は跡形もありません。
もちろん、天守も残っていません。
もっとも、高崎城は天守といわず、三階櫓と呼んでいました。
この乾櫓はかつては本丸にあった櫓で、廃城後に民家に移築されていたものを昭和51年に現在の場所に移築したものです。
重箱型の二重櫓です。
二階部分はとくに小さいです。
関東地方では、櫓の遺構は江戸城、土浦城、笠間城、高崎城の4城しかありません。
貴重なものです。
石垣は本来のものではありません。
東門です。
度重なる改変で城門らしくありません。
この門ももともとはこの位置ではなく、昭和55年に乾櫓の隣に移築されました。
乾櫓と東門です。
ともに本来の場所ではなく、位置関係も変ですが、なにか見慣れたせいか様になっています。
このアングルはよく使われます。
内側から見た乾櫓です。
柵があり近くまで行けません。
乾櫓の入り口です。
内部は非公開のため、入れません。
時々は公開して欲しいです。
復元された塀です。
狭間もちゃんと切られています。
でも厳密なものではありません。
乾櫓の近くの石垣と塀。
でも、こちらは復元されたもので、本来のものではありません。
復元とはいいませんね。
公園整備のため造られたものです。
でもパット見るともともとのものと勘違いしてしまう人も多いと思います。
位置関係はこんな感じです。
続く
高崎城乾櫓です。
三の丸の土塁の上にあります。
二重櫓です。
櫓としては小さくとてもかわいいです。
ぜんたい、関東地方は近世城郭で建物が残っているお城はとても少ないです。
群馬県では、この高崎城の櫓が唯一です。
もともと関東のお城は高層の天守はなく、石垣造りも少なく、多くが土つくりの城だったので、破壊されやすかったようです。
また、殆どが譜代大名のため、明治政府ににらまれてお城の破却が早くすすんだこともあったようです。
高崎城も三の丸の堀を除いて、中心部の本丸や二の丸は跡形もありません。
もちろん、天守も残っていません。
もっとも、高崎城は天守といわず、三階櫓と呼んでいました。
この乾櫓はかつては本丸にあった櫓で、廃城後に民家に移築されていたものを昭和51年に現在の場所に移築したものです。
重箱型の二重櫓です。
二階部分はとくに小さいです。
関東地方では、櫓の遺構は江戸城、土浦城、笠間城、高崎城の4城しかありません。
貴重なものです。
石垣は本来のものではありません。
東門です。
度重なる改変で城門らしくありません。
この門ももともとはこの位置ではなく、昭和55年に乾櫓の隣に移築されました。
乾櫓と東門です。
ともに本来の場所ではなく、位置関係も変ですが、なにか見慣れたせいか様になっています。
このアングルはよく使われます。
内側から見た乾櫓です。
柵があり近くまで行けません。
乾櫓の入り口です。
内部は非公開のため、入れません。
時々は公開して欲しいです。
復元された塀です。
狭間もちゃんと切られています。
でも厳密なものではありません。
乾櫓の近くの石垣と塀。
でも、こちらは復元されたもので、本来のものではありません。
復元とはいいませんね。
公園整備のため造られたものです。
でもパット見るともともとのものと勘違いしてしまう人も多いと思います。
位置関係はこんな感じです。
続く