清洲城@愛知県清須市 その3 [お城踏査]
清州城の続きです。
清州城模擬天守からの眺めです。
赤い橋の向こう側が本来の清州城の本丸です。
中世段階の清州城の想像図です。
清州城は尾張守護の斯波氏の城でした。
織田信長は守護代の家柄でしたが、斯波氏を追放して清州城に入ります。
石碑です。
旧本丸に建つ石碑です。
こちらは訪ねる人も疎らです。
説明です。
清州城の縄張りの部分です。
五条川を挟んで城が築かれていました。
かつて地中に埋もれていた石垣です。
石垣の下には胴木も見られます。
模擬天守と土塀です。
公園にある織田信長像です。
若き日の信長です。
信長の奥さん濃姫です。
(終わり)
清州城模擬天守からの眺めです。
赤い橋の向こう側が本来の清州城の本丸です。
中世段階の清州城の想像図です。
清州城は尾張守護の斯波氏の城でした。
織田信長は守護代の家柄でしたが、斯波氏を追放して清州城に入ります。
石碑です。
旧本丸に建つ石碑です。
こちらは訪ねる人も疎らです。
説明です。
清州城の縄張りの部分です。
五条川を挟んで城が築かれていました。
かつて地中に埋もれていた石垣です。
石垣の下には胴木も見られます。
模擬天守と土塀です。
公園にある織田信長像です。
若き日の信長です。
信長の奥さん濃姫です。
(終わり)
清洲城@愛知県清須市 その2 [お城踏査]
清洲城@愛知県清須市 [お城踏査]
清洲城は愛知県清須市にあったお城です。
中世城郭とも近世城郭とも言えるお城です。
市は清須市ですが、城は清州城です。
もともとの表記は清洲城とも清須城とも使われました。
合併前には清州町にあった清州城でした。
合併のときに市の名を決める際に清州市だと他の町が編入されるみたいということで、清須の字を使ったそうです。
そのために清須市の清州城になってしまいました。
五条川越しに見る清州城です。
正門です。
立派な門ですが、模擬門です。
門の隣には何故か「信長塀」が。
信長塀は織田信長が桶狭間合戦の勝利のお礼に熱田神宮に奉納したものです。
清州城とは全く無関係です。
こんな感じにつながっています。
歴史を無視したとんでもない復元です。
そもそも復元とは言いませんね。
隣の塀にはもっともらしく銃眼が切ってあります。
鉄砲狭間です。
清州城の模擬天守です。
平成元年に清州町の町制100周年を記念して建てられました。
モデルは犬山城です。
三重の望楼式天守です。
(続く)
中世城郭とも近世城郭とも言えるお城です。
市は清須市ですが、城は清州城です。
もともとの表記は清洲城とも清須城とも使われました。
合併前には清州町にあった清州城でした。
合併のときに市の名を決める際に清州市だと他の町が編入されるみたいということで、清須の字を使ったそうです。
そのために清須市の清州城になってしまいました。
五条川越しに見る清州城です。
正門です。
立派な門ですが、模擬門です。
門の隣には何故か「信長塀」が。
信長塀は織田信長が桶狭間合戦の勝利のお礼に熱田神宮に奉納したものです。
清州城とは全く無関係です。
こんな感じにつながっています。
歴史を無視したとんでもない復元です。
そもそも復元とは言いませんね。
隣の塀にはもっともらしく銃眼が切ってあります。
鉄砲狭間です。
清州城の模擬天守です。
平成元年に清州町の町制100周年を記念して建てられました。
モデルは犬山城です。
三重の望楼式天守です。
(続く)
あんじょう 戦国遺跡展 その2 [お城情報]
戦国遺跡展の続きです。
岩根城です。
安城市小川町岩根にありました。
岩根城の図です。
『小川村誌』によると東西70間、南北70間の規模でした。
虎口は3ヶ所ありますが、2ヶ所は食い違いになっている。
只の館ではなく、軍事的な構えでした。
加藤太郎掃部助左衛門尉が築いたとされます。
加藤太郎は賤ケ岳七本槍のひとり加藤嘉明の祖先です。
岩根城の堀跡です。
平成25年からの発掘調査で確認されました。
深さ2.5メートル以上でした。
岩根城の遺物です。
天目茶碗や擂鉢が見つかっています。
東端城です。
安城市東端町にありました。
道路建設により一部が発掘されました。
土塁と堀です。
版築の様子がよくわかります。
遺物です。
天目茶碗や擂鉢、灯明皿、内耳鍋が見つかっています。
生活痕がありました。
他には木戸城、安祥城の遺物も展示されてました。
行った時にたまたま十二単の解説もありました。
結構重そうです。
雅楽の演奏です。
間近に聞く機会はなかなかありません。
雅な雰囲気に浸れました。
岩根城です。
安城市小川町岩根にありました。
岩根城の図です。
『小川村誌』によると東西70間、南北70間の規模でした。
虎口は3ヶ所ありますが、2ヶ所は食い違いになっている。
只の館ではなく、軍事的な構えでした。
加藤太郎掃部助左衛門尉が築いたとされます。
加藤太郎は賤ケ岳七本槍のひとり加藤嘉明の祖先です。
岩根城の堀跡です。
平成25年からの発掘調査で確認されました。
深さ2.5メートル以上でした。
岩根城の遺物です。
天目茶碗や擂鉢が見つかっています。
東端城です。
安城市東端町にありました。
道路建設により一部が発掘されました。
土塁と堀です。
版築の様子がよくわかります。
遺物です。
天目茶碗や擂鉢、灯明皿、内耳鍋が見つかっています。
生活痕がありました。
他には木戸城、安祥城の遺物も展示されてました。
行った時にたまたま十二単の解説もありました。
結構重そうです。
雅楽の演奏です。
間近に聞く機会はなかなかありません。
雅な雰囲気に浸れました。
あんじょう 戦国遺跡展 [お城情報]
安城市歴史博物館で開催されたあんじょう戦国遺跡展です。
安城市内の戦国時代の城館などの展示です。
まず、目に付いたのが本証寺外堀の立面図です。
壁に貼られていて、深さ3メートルの堀の大きさが実感できます。
本証寺は三河一向一揆のときの拠点で城郭寺院として有名です。
今も堀や石垣が残っていますが、最近の発掘調査により外堀の跡が確認されました。
山﨑城です。
今は堀の一部しか残りません。
地籍図によると堀と土塁に囲まれていた様子がよくわかります。
水色の中が城跡です。
土塁の古写真です。
今は破壊されています。
かなりの大きさだったことがわかります。
浅野文庫の山﨑城の図です。
方形の本丸の前に馬出曲輪があったことがわかります。
馬出は今は確認できません。
(続く)
安城市内の戦国時代の城館などの展示です。
まず、目に付いたのが本証寺外堀の立面図です。
壁に貼られていて、深さ3メートルの堀の大きさが実感できます。
本証寺は三河一向一揆のときの拠点で城郭寺院として有名です。
今も堀や石垣が残っていますが、最近の発掘調査により外堀の跡が確認されました。
山﨑城です。
今は堀の一部しか残りません。
地籍図によると堀と土塁に囲まれていた様子がよくわかります。
水色の中が城跡です。
土塁の古写真です。
今は破壊されています。
かなりの大きさだったことがわかります。
浅野文庫の山﨑城の図です。
方形の本丸の前に馬出曲輪があったことがわかります。
馬出は今は確認できません。
(続く)