シンポジウム「松平シンポジウム  三州に一揆おこりもうす -三河一向一揆の本質を問う」に行ってきました。 [お城情報]

シンポジウム「松平シンポジウム  三州に一揆おこりもうす」に行ってきました。
開催場所は、安城市歴史博物館です。

記念講演は、東京都立大学名誉教授の峰岸純夫氏。

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講演する峰岸氏。

峰岸氏の講演は、「戦国期における一揆の諸相-三河一向一揆へ」
ウェスレーの四辺形の方法論を用いて考えた。
明応7年関東・東海地震について
太平洋岸の銚子から紀伊半島については、地震の津波により壊滅的な打撃を受けた。
しかし、三河湾は知多半島(羽豆岬)と渥美半島(伊良湖岬)と湾口の島(佐久・日馬賀・篠)が防波堤となり、被害を受けなかった。
そのため三河は太平洋諸地域の復興の拠点となり発展した。
西三河の松平氏、石川氏に注目すべき。
三河の守護は室町初期に一色氏が補任されていて、石河(石川)氏は守護代として勢力を伸ばした。
また、浄土真宗専修寺派の門徒として教団の発展に貢献した。

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ついで次の三人の講演。
「一揆における領主の立場について」村岡幹生氏(中京大学)
「一揆における寺院の立場について」安藤弥氏(同朋大学)
「統一政権と一向一揆」川端泰幸氏(大谷大学)

村岡氏は、三河一向一揆は他の地域の一向一揆とは違い、国人領主の徳川家康に対する抵抗であり、その中に一揆があったとして、一向一揆と呼ぶのは事件の矮小化とした。

シンポでは会場から村岡説に対して、当事者である本多正信が「三河にて三ケ寺の坊主一揆をおこし」と述べていることからも一向一揆ではないかなどの意見が出ていました。

この日は参加者が多く、260名ほどでした。
やはり戦国物は人気ですね。

安城市歴史博物館では特別展「三州に一揆おこりもうす」を開催中です。
あわせて見ました。

城下町大垣シンポジウム「お城を生かしたまちづくり」 [お城情報]

お城関係のイベントです。
中井さんはお城の専門家ですが、どこのシンポジウムでも引っ張りだこですね。
大垣城もお城の整備を始めるようです。


城下町大垣シンポジウム「お城を生かしたまちづくり」
日 時 2014年2月9日(日) 13時~16時30分
場 所 大垣市総合福祉会館(大垣市馬場町124)
定 員 250名
参加費 無料
内 容
「お城の魅力とまちづくり」中井均氏(滋賀県立大学教授)
パネルディスカッション
 田中 志典(犬山市長)
 日置 敏明(郡上市長)
 岡本  栄(伊賀市長)
 小川  敏(大垣市長)
問合せ
大垣市観光協会
℡0584-77-1535

アワコウコ楽公開講座「四国の中世-中世四国の城と館」 [お城情報]

お城関係のイベントです。

阿波と言えば守護所の勝瑞館ですが、どんな話が聞けるのか楽しみですね。


アワコウコ楽公開講座「四国の中世-中世四国の城と館」
日 時 2014年2月9日(日)13時~16時
場 所 徳島県立埋蔵文化財総合センター研修室(徳島県板野郡板野町犬伏字平山86-2)
参加費 無料(資料代500円)
内 容
「勝瑞城館跡と阿波の中世城館」重見高博氏(藍住町教育委員会)
「土佐の中世城館」吉成承三氏(高知県文化財団埋蔵文化財センター)
「讃岐の中世城館」長井博志氏(香川県埋蔵文化財センター)
「伊予の中世城館」中野良一氏(愛媛県埋蔵文化財センター)
問合せ
公益財団法人徳島県埋蔵文化財センター
℡088-672-4550


中田陣屋の移築門 [移築建物]

中田陣屋は愛知県西尾市一色町池田にあった江戸時代の陣屋です。

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中田陣屋の門を移築したと伝えられる門がすぐ近くの長久院にあります。

朱色の門が鮮やかです。

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門は四つ脚門です。

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門自体も小ぶりです。
門の形式も城門に使われる形式ではなく、屋根も寺院の門の形です。
移築後に変えられた可能性もありますが、陣屋の門とするには疑問が残ります。
部材のみを一部使ったのでしょうか。

ちなみに中田陣屋はこの長久院のすぐ前にありましたが、現在は畑地となり遺構はありません。

小牧陣屋の移築門 [移築建物]

小牧陣屋(西尾市吉良町小牧)の門が同市萩原にある糟谷邸に移築されています。
糟谷邸はこの地方の豪農・豪商であった糟谷縫右衛門家の屋敷です。
糟谷家は江戸時代を通してこの地方の大地主として、また三河木綿の江戸送り総問屋として栄えました。

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正面です。
立派な長屋門です。

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裏から見た長屋門です。

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説明です。
説明によると、糟谷家が御用達を務めた大多喜藩小牧陣屋から移築されたとの伝承をもつ建物です。
糟谷家では唯一の本瓦葺き建物で、西の鬼瓦に「延享元年(1744)四月吉日」のへら書きが残っています。
幕府が諸国に派遣した巡見使が当家に宿泊した際には、お供の宿泊に使われました。

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門の扉です。
重厚さを感じます。

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内側から見た門扉です。

小牧陣屋絵図を見ると、陣屋の門は長屋門に描くものもありますが、もう少し小さく書くものもあります。

糟谷邸の長屋門を見ると長屋部分は比較的新しいので、もしかしたら門の柱と扉部分のみを移築したのではないでしょうか。

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