諸井陣屋@静岡県袋井市 [お城踏査]
諸井陣屋は静岡県袋井市諸井にあった近世の陣屋です。
あまり有名な陣屋ではありません。
というより殆んど無名の陣屋、知る人ぞ知る、知らない人は全く知らないというレベルの陣屋です。
諸井陣屋の長屋門が現在も残っています。
陣屋の跡にそのまま子孫の方が現在も住んでおられます。
現在の屋敷地がそのまま当時の陣屋です。
諸井陣屋は大身の旗本菅谷氏の陣屋でした。
菅谷範平は元禄10年に磐田市の西島村や諸井村(袋井市)に4500石を領しました。
西島村に陣屋を置きました。
諸井村にも在郷の富田家を代官とした代官屋敷が設けられました。
この代官屋敷は富田家の邸宅の一部を利用するもので、このような在郷屋敷を利用した代官屋敷は主要な村々に作られました。
これが諸井陣屋です。
長屋門の門扉です。
通常の陣屋の門より小ぶりです。
脇に潜り戸が付いています。
裏から見た長屋門です。
屋根は寄棟造りです。
のちに改修したのでしょうか。
門の中です。
なんと駕籠が置いてありました。
当時使っていたものなのでしょうか?
気になります。
門の金具です。
門は小さいけど、陣屋の門らしく金具などはしっかりしています。
持ち主の人は維持が大変でしょうが、大切に保存して欲しいですね。
あまり有名な陣屋ではありません。
というより殆んど無名の陣屋、知る人ぞ知る、知らない人は全く知らないというレベルの陣屋です。
諸井陣屋の長屋門が現在も残っています。
陣屋の跡にそのまま子孫の方が現在も住んでおられます。
現在の屋敷地がそのまま当時の陣屋です。
諸井陣屋は大身の旗本菅谷氏の陣屋でした。
菅谷範平は元禄10年に磐田市の西島村や諸井村(袋井市)に4500石を領しました。
西島村に陣屋を置きました。
諸井村にも在郷の富田家を代官とした代官屋敷が設けられました。
この代官屋敷は富田家の邸宅の一部を利用するもので、このような在郷屋敷を利用した代官屋敷は主要な村々に作られました。
これが諸井陣屋です。
長屋門の門扉です。
通常の陣屋の門より小ぶりです。
脇に潜り戸が付いています。
裏から見た長屋門です。
屋根は寄棟造りです。
のちに改修したのでしょうか。
門の中です。
なんと駕籠が置いてありました。
当時使っていたものなのでしょうか?
気になります。
門の金具です。
門は小さいけど、陣屋の門らしく金具などはしっかりしています。
持ち主の人は維持が大変でしょうが、大切に保存して欲しいですね。
浅羽荘司館@静岡県袋井市 [お城踏査]
浅羽荘司館は静岡県袋井市柴にありました。
円明寺の付近にあったと言われます。
しかし、お寺付近にはお城の遺構はみられません。
かつてはお寺の裏に土塁があったとも言われますが・・。
ここは荘司館と呼ばれるように歴史は古いです。
平安末期までさかのぼります。
『吾妻鏡』によると浅羽庄司宗信は、源頼朝に従って平家の討伐にしたがったとあります。
浅羽庄司の子孫は戦国時代までここの地の領主を勤め江戸の初めに帰農したといわれています。
少し離れた場所に石碑が建てられています。
『浅羽風土記』によると東西100m、南北130mの規模だったそうです。
100メートル四方の国人領主の館の標準的な規模で、戦国期まで勢力を保っていたと思われます。
説明です。
軽便鉄道駿遠線の芝駅のすぐ近くにこの説明板と石碑はあります。
付近は宅地化が進み、遺構が消滅してしまったことは残念です。
円明寺の付近にあったと言われます。
しかし、お寺付近にはお城の遺構はみられません。
かつてはお寺の裏に土塁があったとも言われますが・・。
ここは荘司館と呼ばれるように歴史は古いです。
平安末期までさかのぼります。
『吾妻鏡』によると浅羽庄司宗信は、源頼朝に従って平家の討伐にしたがったとあります。
浅羽庄司の子孫は戦国時代までここの地の領主を勤め江戸の初めに帰農したといわれています。
少し離れた場所に石碑が建てられています。
『浅羽風土記』によると東西100m、南北130mの規模だったそうです。
100メートル四方の国人領主の館の標準的な規模で、戦国期まで勢力を保っていたと思われます。
説明です。
軽便鉄道駿遠線の芝駅のすぐ近くにこの説明板と石碑はあります。
付近は宅地化が進み、遺構が消滅してしまったことは残念です。