「城フェスvol.6 in TOKYO」 [お城情報]

お城のイベントです。
このイベントも恒例となってきました。

初めのころは、ネット上のお城愛好者の集いみたいな感じだったけど、最近では、中井均氏、千田嘉博氏、加藤理文氏などお城の学会を代表する研究者が参加するようなイベントに成長しました。

今後の発展に期待ですね。
ネット上の研究者もあなどれなくなってきました。


「城フェスvol.6 in TOKYO」
日 時 2015年6月21日(日) 10:00~15:00
場 所 東京カルチャーカルチャー(東京都江東区青海1丁目3-11 Zepp Tokyo2F)
入場料 前売り 2900円 当日 3500円 
前売りチケットはローソンチケットにて発売予定
出演者  中井均氏 (滋賀県立大教授)
       加藤理文氏 (織豊期城郭研究家)
       畠中和久氏 (城郭写真家)
       二宮博志氏(城郭復元マイスター)
       萩原さちこ氏 (城郭ライター/城フェス実行委員長)
       滝沢弘康氏 (かみゆ歴史編集長)
問合せ
東京カルチャーカルチャー
℡03-3599-2390 


掛川城大手門 [移築建物]

掛川城の大手門が袋井市油山寺に移築されています。

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正面からです。

大手門らしい立派な櫓門です。

日陰になっていて少し分かりにくくなっています。

油山寺の棟札には「掛川城御玄関前大手二之門」とあります。

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後ろからです。

片潜付櫓門です。
前後に庇屋根がついています。

間口9メートル、奥行4.55メートルの大きな門です。

重要文化財です。

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門の部分です。

城門らしく柱は太いです。

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門の内部です。

門扉は一枚板ですが、少し新しそうです。

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二階に上る階段です。

二階は非公開です。

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説明です。

移築された城門でこれほど城門らしい原型を留めている門はありません。

まさに大手門の風格があります。


大脇城@愛知県豊明市 [お城踏査]

大脇城は愛知県豊明市栄町にあった中世城館です。

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石碑です。

石碑は日本道路公団の事務所の前に建てられています。

今は石碑が建つのみで、遺構はありません。

ただ、この付近には道路公団の建物以外はほとんど建物がない場所なので、人通りも殆んどなくて、淋しい場所です。


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城跡付近です。

左に見えるのは伊勢湾岸道と国道23号線の高架橋です。

大脇城は道路建設により道路の下になっています。

ただ、事前の発掘調査により堀の跡が見つかっています。

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石碑と説明です。

石碑は平成16年3月に建てられました。


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説明です。

説明には、
16世紀の武将梶川五左衛門秀盛の城跡、もしくは屋敷跡であったと伝えられている。
五左衛門は横根村(大府市)の人で、織田信長・信雄に仕えた後に、豊臣秀吉による朝鮮出兵の際に、池田輝政に従い、参戦したが、陽川(ソウル市郊外)にて戦死したとされている。
とあります。


シンポジウム「善光寺信仰と武田信玄」 [お城情報]

シンポジウムの案内です。
今年は善光寺のご開帳もあります。
それにあわせたイベントです。


シンポジウム「善光寺信仰と武田信玄」
日 時 2015年5月9日(土) 13時30分~
場 所 甲斐善光寺信徒会館(甲府市善光寺3-36-1)
定 員 300名
参加費 500円
内 容
「善光寺如来」近藤暁子氏(山梨県立博物館)
「戦国武将の善光寺本尊奉還-信玄・家康・秀吉」吉原浩人氏(早稲田大学教授)
「善光寺と源頼朝・武田信玄」五味文彦氏(東京大学名誉教授)
問合せ
山梨郷土研究会
℡055-263-6441

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二つあった桶狭間古戦場 愛知県名古屋市緑区編 その2 [歴史雑話]

桶狭間古戦場 名古屋市編の続きです。

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古戦場周辺の地図です。

公園は怪しさ一杯ですが、周囲の史跡はそれなりに由緒があります。

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瀬名氏の陣所です。

瀬名氏の軍勢200名が陣を構えたと伝えられます。

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セナ薮と呼ばれていました。
正面の小山でしょうか。

東西15メートル、南北38メートルの規模だったそうです。

昭和61年の堤防工事によりほとんど取り壊されてしまったそうです。
現在は竹薮がわずかに残るだけです。

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石碑です。

瀬名伊予守氏俊陣と刻まれています。

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信長がこの近くで首実験を行い、首の処理を村人に命じました。

村人は7つの穴を50メートル間隔に掘って埋葬しました。

手厚く埋葬されましたが、区画整理によりここに集められました。

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七つ塚です。

住宅の庭先のような奥まった非常にわかりにくい場所にあります。

でも、付近には何箇所が表示が出ているので、だいたいこの付近とわかっていれば見つけ出すことはできます。

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おけはざま山です。

今回一番びっくりしたのはこの桶狭間山の表示です。

今川義元本陣とも記されています。

『信長公記』は「今川義元は4万5千引率し、おけはざま山に人馬の息を休めこれあり」とあり、おけはざま山に休息していたことがわかります。

しかし、このおけはざま山の場所が不明でした。

碑の建っている場所は確かに高台ですが、上まで住宅が建ち、山という雰囲気は今はありません。

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説明です。

かつては現在より8メートル高い山でしたとありますが、そもそもここが本当におけはざま山という山だったという確証はありません。

現在は開発により地形も変わってしまっていますが、これほど有名な古戦場の山の名前が伝えられていないことも考えてみれば不思議なことです。

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戦評の松です。

瀬名伊予守が武将を集めて会議を開いた場所です。

今川義元ではないところがみそです。

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碑です。

松は枯れてしまったので、現在は二代目が植えられています。

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長福寺です。

お寺は碑の奥です。

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同じく桶狭間古戦場由緒地の碑です。

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首検証跡です。
長福寺境内の杉の木の下にあります。

今川氏の林阿弥が織田氏に捕らえられて今川軍の首実験をしたといわれています。

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長福寺の弁天池です。

刀濯ぎの池とも言われています。
この池で武将が血で汚れた刀を洗ったといわれます。

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長福寺の供養塔です。
こちらは最近のものです。

長福寺には今川義元と松井宗信の像もあります。

このように名古屋市緑区の古戦場もいろいろと合戦に関係する史跡があります。


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桶狭間古戦場を巡った後で、名古屋駅の矢場とんでわらじかつ定食を食べました。

カツがわらじのように大きくて美味しかった。

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