徳川家康別陣@佐賀県唐津市 [お城踏査]

肥前名護屋城の徳川家康の別陣です。

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徳川家康は1万5千騎を率いていました。

そのために名護屋城の近くの陣屋とは別に海を隔てたところに別陣を構えていました。

徳川家康は文禄慶長の役では名護屋城まで来ていますが、実際に渡海して朝鮮半島で戦うことはありませんでした。
秀吉子飼いの加藤清正、福島正則、小西行長など多くの武将がこの戦いで疲弊します。
家康は、出兵せずにすみ、戦死者を出しませんでした。力を蓄えた家康は関ケ原合戦で勝利した一因とも言われています。

写真の標識を曲がり細い道を進みます。

でも行けども行けども陣屋跡らしい場所には着きません。
地図でだいだいの場所は間違いないのですが、確証がありません。

書籍によると土塁や櫓台があるらしいのですが、見つけることは出来ませんでした。

名護屋城の陣所はこういう入り口の標識はたくさん立っているのですが、そこから実際の陣屋までの標識がなく、結構迷います。
加藤清正や鍋島直茂、伊達政宗などの陣屋は近くまで行ったけど登り口がわからず断念しました。
冬ならば藪漕ぎして、山を直登するのですが、さすがに夏場の藪漕ぎは危険すぎます。

嗚呼残念。

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