徳川家康陣屋@佐賀県唐津市 [お城踏査]

名護屋城の徳川家康の陣屋です。

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徳川家康の陣屋は比較的低い場所にありました。

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現在はゲートボール場になっています。
写真で見るとただのグランドみたいで、標識がないとわかりません。

隣には保育園があります。

それだけ街中にあっただけに早くに破壊されてしまったようです。

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石垣です。

他にも石垣が発掘調査で見つかっていますが、今は埋め戻されています。
堀もかつてはあったようです。

周囲には家臣の本多忠勝や大久保忠世の陣屋もありました。

佐竹氏の家臣の平塚滝俊の手紙に「家やす、正宗、うき田との、かもう殿、其の外西国衆、甲斐、信濃、加賀、越中、出羽、奥州、其の外諸国のぐんぜいかきりなく取り付けられ候、左候間、日々に小旗、小指物、ほろ、のぼり御ちん御珍に張りたてて候間、誠に弥生の此、山々の花を見渡し候様に候」とあるように、名護屋城の周囲の山々や土地に大名の陣屋が建ち並んでいました。

特に名護屋城の周囲には、徳川家康、前田利家、加藤清正、福島正則、小西行長、木下延俊などの有力な家臣が陣屋を建てていました。

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まさに周囲には日本中の大名が集まり、首都のような様相と賑わいでした。




十二単 [歴史雑話]

安城市歴史博物館で「平安絵巻の世界」があり、見て来ました。

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十二単の実演がありました。

着方の説明もありましたが、とても手間がかかるようです。

十二単の正式名称は「五衣・唐衣裳」だそうです。
いつのころからか、響きのよい十二単が使われるようになりました。

実際に12枚重ね着しているわけではありません。

本物を着ているところをはじめて見ましたが、重そうでした。
歩くときは一人ではあるけず、付き人が二人がかりで裾を持っていました。

平安美人は大変です。

雅楽の演奏もありました。

豊臣秀保陣屋@佐賀県唐津市 [お城踏査]

豊臣秀保陣屋です。

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虎口の石垣です。

豊臣秀保は秀吉の姉の子どもで、秀吉の甥にあたります。
大和郡山城主で大和中納言と呼ばれました。
豊臣秀保は文禄4年に病気で死亡してしまうので、あまり知られてはいない人物です。
1万5千騎を率いていて、かなりの大身でした。
そのため、陣屋も立派なものでした。

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広い枡形虎口がありました。
豊臣一門としての格式を示すものです。

陣屋の形も方形をしていて、整ったものでした。
堀秀治の陣屋が自然地形を生かした楕円形になっていたのとは対照的です。

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ここもしっかりと説明板が設置されています。

陶板のものです。

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夏場のため草がかなり茂っています。

発掘の成果により、遠侍、書院、御座の間、数奇屋、二階櫓の跡が確認されました。
庭園遺構も見つかっています。

しかし、草によりあまりよく確認できませんでした。

やはり城は冬場に行くに限りますね。

隅のほうは蛇がでそうで怖かったです。
見学者はいませんでした。

豊臣秀保陣屋は、名護屋城の陣の中でも大きなもので、整備もされています。
しかし、標高68メートルの小高い山の上にあるので着くまで細い道を登り不安になりました。
看板も道路にはあったけど、途中からはなくなります。
地図を持っていないと少し迷います。

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名護屋城図屏風に描かれた豊臣秀保陣屋です。

石垣と塀に囲まれた中に建物や櫓が建てられていました。

発掘によりこの景観が確認されました。

堀秀治陣屋@佐賀県唐津市 [お城踏査]

名護屋城の周りには大名の陣屋が建てられていました。

佐竹氏の家臣の平塚滝俊の書状には「岸へは皆諸国の大名衆御陣取にて候、野も山もあく所なく候」と書かれている様に、周囲の山々にはほとんど陣屋が建てられていました。

現在、約130ケ所の陣屋跡が確認されています。

堀秀治の陣屋です。

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登り口にある説明です。

陶板です。

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主郭の土塁と虎口です。

土塁の凹んだところが虎口です。

堀氏の陣屋は小高い丘の上にあります。


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堀切です。

堀は浅く狭いです。

陣屋のためここで戦うのではないので、堀や土塁も小さいです。
区画や権威付けのためくらいでしょうか。

比較的きれいに整備されていますが、やはり夏のため夏草が伸びています。

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建物跡を遺構表示しています。

発掘調査の成果建物が確認されています。

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建物を復元したイラストです。

書院造りの建物が並んでいました。

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主郭前の虎口です。
少し分かりにくいですが、枡形虎口になっていました。

格式を示すためでしょうか。

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陣屋の中心部の図面です。

比較的大きな陣屋でした。

史料によると堀氏は3千騎の兵力でした。
3,000人以上がここに駐屯していたようです。

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石垣です。
低く、石を数段積んだだけのものです。

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