松江城国宝に [お城情報]
今日の新聞にビッグニュースが出ていました。
いろいろピックアップしてみました。
文化審議会(宮田亮平会長)は15日、松江市の松江城天守を国宝に、群馬県高崎市の旧新町紡績所や箱根駅伝の名所だった神奈川県箱根町の函嶺洞門など9件を新たに重要文化財に指定するよう下村博文文部科学相に答申した。(ヤフーニュース)
松江城は出雲領主の堀尾氏が築いた平山城で天守は1611年に完成。四重五階の天守は近世城郭の代表例として価値が高いとされた。
(ヤフーニュース)
1611年に完成した松江城の天守は、外観が四重、内部5階、地下1階の荘重雄大な形式。
通し柱による建築方法など独自の特徴があり、防御性を重視した中世の山城を捨て、城下町の中核として平山城を築いたことに、深い文化史的意義があると評価された。
国宝に指定された天守は姫路城など全国に四つあり、今回の答申で5件目で、63年ぶりの指定となる。
(朝日新聞)
松江城の国宝化は当然で、むしろ遅すぎたくらい。
やはり天守そのものの価値はすごいと思う。
堀尾氏は関ケ原合戦に徳川氏に味方したと言っても、豊臣恩顧の大名で、やはり警戒して堅固な城を築いていた。
松江城の天守は付け櫓を入っても、大天守から銃眼が狙っていて、実戦的な天守であることがわかる。
また、天守の中に井戸もあります。
国宝の天守は、姫路城、犬山城、松本城、彦根城に続いて5城目で、松江城もますます人気がでるでしょうね。
再度行って見たいです。
いろいろピックアップしてみました。
文化審議会(宮田亮平会長)は15日、松江市の松江城天守を国宝に、群馬県高崎市の旧新町紡績所や箱根駅伝の名所だった神奈川県箱根町の函嶺洞門など9件を新たに重要文化財に指定するよう下村博文文部科学相に答申した。(ヤフーニュース)
松江城は出雲領主の堀尾氏が築いた平山城で天守は1611年に完成。四重五階の天守は近世城郭の代表例として価値が高いとされた。
(ヤフーニュース)
1611年に完成した松江城の天守は、外観が四重、内部5階、地下1階の荘重雄大な形式。
通し柱による建築方法など独自の特徴があり、防御性を重視した中世の山城を捨て、城下町の中核として平山城を築いたことに、深い文化史的意義があると評価された。
国宝に指定された天守は姫路城など全国に四つあり、今回の答申で5件目で、63年ぶりの指定となる。
(朝日新聞)
松江城の国宝化は当然で、むしろ遅すぎたくらい。
やはり天守そのものの価値はすごいと思う。
堀尾氏は関ケ原合戦に徳川氏に味方したと言っても、豊臣恩顧の大名で、やはり警戒して堅固な城を築いていた。
松江城の天守は付け櫓を入っても、大天守から銃眼が狙っていて、実戦的な天守であることがわかる。
また、天守の中に井戸もあります。
国宝の天守は、姫路城、犬山城、松本城、彦根城に続いて5城目で、松江城もますます人気がでるでしょうね。
再度行って見たいです。
岡崎城の城門 [移築建物]
岡崎城の城門が西尾市のお寺に移築されています。
西尾市西浅井町の宿縁寺に移築されています。
岡崎城の北曲輪門と伝えられています。
門の形式は薬医門です。
門の扉です。
ずいぶんと傷んでいます。
古いから仕方ないでしょうが。
説明です。
古くなって字がかすんで殆んど読めません。
辛うじて読むと岡崎城の北曲輪より移築したとあります。
門の柱です。
太くて城門らしい柱です。
しかし、屋根は桟瓦葺きで葺きなおされています。
また、柱の上は寺院の門らしく装飾が施されています。
おそらくは現在は柱のみは岡崎城の城門の部材を使ったのでしょうが、他の部分はかなり修理されているようですので、どこまでオリジナルな遺構なのかは不明です。
でも大切にして欲しいです。
西尾市西浅井町の宿縁寺に移築されています。
岡崎城の北曲輪門と伝えられています。
門の形式は薬医門です。
門の扉です。
ずいぶんと傷んでいます。
古いから仕方ないでしょうが。
説明です。
古くなって字がかすんで殆んど読めません。
辛うじて読むと岡崎城の北曲輪より移築したとあります。
門の柱です。
太くて城門らしい柱です。
しかし、屋根は桟瓦葺きで葺きなおされています。
また、柱の上は寺院の門らしく装飾が施されています。
おそらくは現在は柱のみは岡崎城の城門の部材を使ったのでしょうが、他の部分はかなり修理されているようですので、どこまでオリジナルな遺構なのかは不明です。
でも大切にして欲しいです。
小牧陣屋@愛知県西尾市 [お城踏査]
岡山陣屋@愛知県西尾市 [お城踏査]
岡山陣屋は愛知県西尾市吉良町岡山にあった江戸時代の陣屋です。
岡山陣屋は旗本吉良氏の陣屋でした。
4000石という石高でしたが、足利氏に連なる血筋の良さから高家職を勤める名門でした。
現在は陣屋の跡は小さな公園となっています。
遺構はなにもありません。
陣屋に建てられた模擬の門です。
門自体も小さく、モニュメント的なものです。
陣屋の石碑です。
小さなものです。
陣屋の説明です。
陣屋のある地名は岡山字殿町です。
吉良氏は江戸時代には、吉良義弥-義冬-義央-義周と続きました。
義央が忠臣蔵で有名な吉良上野介です。
赤穂浪士の討ち入りの後は、吉良氏は改易となりました。
義央の子義周(上杉氏の養子)は諏訪に配流になりました。
陣屋跡に建つ吉良上野介のブロンズ像です。
世間的には悪人のイメージですが、地元では名君として慕われていました。
洪水防止のため黄金堤を築いたり、開発した新田に奥さん(富子)の名前をつけて富好新田としたりしました。
領地に帰ると赤馬に乗って領内を巡視しました。
馬に乗っていますが、この赤馬のイメージで作られました。
しかし、実際には江戸城内の儀礼を指導する高家のため、多忙で領地の吉良に帰ることはほとんどなかったようです。
岡山陣屋は旗本吉良氏の陣屋でした。
4000石という石高でしたが、足利氏に連なる血筋の良さから高家職を勤める名門でした。
現在は陣屋の跡は小さな公園となっています。
遺構はなにもありません。
陣屋に建てられた模擬の門です。
門自体も小さく、モニュメント的なものです。
陣屋の石碑です。
小さなものです。
陣屋の説明です。
陣屋のある地名は岡山字殿町です。
吉良氏は江戸時代には、吉良義弥-義冬-義央-義周と続きました。
義央が忠臣蔵で有名な吉良上野介です。
赤穂浪士の討ち入りの後は、吉良氏は改易となりました。
義央の子義周(上杉氏の養子)は諏訪に配流になりました。
陣屋跡に建つ吉良上野介のブロンズ像です。
世間的には悪人のイメージですが、地元では名君として慕われていました。
洪水防止のため黄金堤を築いたり、開発した新田に奥さん(富子)の名前をつけて富好新田としたりしました。
領地に帰ると赤馬に乗って領内を巡視しました。
馬に乗っていますが、この赤馬のイメージで作られました。
しかし、実際には江戸城内の儀礼を指導する高家のため、多忙で領地の吉良に帰ることはほとんどなかったようです。
西尾市資料館企画展 西尾の中世城館 再び訪問 [歴史雑話]
安城市に来たついでに、西尾市資料館で開催されている「西尾の中世城館-わが町と城館」を再度見てきました。
資料館は西尾城姫丸跡に建てられています。
外観はお城風です。
寺部城の立体模型です。
屋敷と詰の城の関係がよくわかります。
根小屋式の城館でした。
同時開催として「お城グッズ展」を開催していました。
入場券の数々。
全国のお城の入場券がありました。
北は五稜郭から南は首里城まで。
こちらは名古屋城グッズです。
西尾でどうして名古屋城?なのかというと、名古屋城の石垣は西尾市東幡豆町の山から切り出したそうです。
西尾市と名古屋城は所縁があるのですね。
前回より新しいグッズが増えていました。
展示替えもあるのかな。
お城好きにはお勧めの企画展です。
図録も500円で販売していました。
西尾市資料館
愛知県西尾市錦城町229
℡0563-56-6191
資料館は西尾城姫丸跡に建てられています。
外観はお城風です。
寺部城の立体模型です。
屋敷と詰の城の関係がよくわかります。
根小屋式の城館でした。
同時開催として「お城グッズ展」を開催していました。
入場券の数々。
全国のお城の入場券がありました。
北は五稜郭から南は首里城まで。
こちらは名古屋城グッズです。
西尾でどうして名古屋城?なのかというと、名古屋城の石垣は西尾市東幡豆町の山から切り出したそうです。
西尾市と名古屋城は所縁があるのですね。
前回より新しいグッズが増えていました。
展示替えもあるのかな。
お城好きにはお勧めの企画展です。
図録も500円で販売していました。
西尾市資料館
愛知県西尾市錦城町229
℡0563-56-6191